vol.13
2014.8.12(tue)
最近読んだ本はどれも凄く面白かったんだけど、昨日読み始めた本が全く面白くない…
“「あの、甲羅の取りはずしの頬べたぱっくりこ、禁止するよろし」”
↑ここだけ少し面白かった
ギターの練習をする際の、ウォームアップに必要な時間が年々長くなっている気がする あと、新しい曲が出来てからそれに飽きるまでの時間は年々短くなっている気が… 老けてきているのか、それとも成長してきているのか
vol.12
2014.8.10(sun)
前回のつづき。先週から読んでいた本を読み終わった。凄く面白かった。
“その一つには『オン』、もう一つには『オフ』と記されていた。『オン』のボタンは、火星からの飛行を開始するだけのものである。『オフ』のボタンは、どこにもつながっていない。それは火星の精神衛生の専門家たちの要請によってつけ加えられたもので、この専門家たちの意見によると、人間は自分が停められると思っている機械のほうを、つねに好むものなのである”
“「友だちはそのひとりだけかね?」「ひとりだけだ」 たっぷり友情に恵まれるには、そのひとりの友だちだけで十分だったのだと考えると、彼の哀れな魂はどっと喜びの潮に浸された”
“巨大な二羽の鳥は、どちらも羽ばたきひとつしなかった。羽毛一本動かしても、その調和は乱れたろう。生命は空を翔ける夢にすぎない”
“「われわれがいったすべてのことを、われわれはいまでもやはりいいつづけているんだよ———これまでも、いまも、これからも、変わりなく」”
“「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」この考えが彼女の緊張をほぐした。「わたしを利用してくれてありがとう。たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」「いや、どういたしまして」”
“「お母さんとお父さん」と彼は叫んだ。「ぼくに生命の贈り物をありがとう。さようなら!」”
“失ったただひとりの伴侶は、彼の左手にとっての右手のような伴侶だったのだ”
“「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」”
“「きみは疲れた、ひどく疲れたね、宇宙のさすらいびと。遠い遠い星を見つめるのだ、地球人よ、そしてきみの手足がどれほど重くなったかを考えてごらん」「重い」”
“「天にいるだれかさんはおまえが気に入ってるんだよ」”
vol.11
2014.8.6(wed)
前回のつづき…
“ビルはほっそりした十二面の角柱で、十二面ぜんぶに青緑色のガラスがはまり、それは基部に近づくにしたがってバラ色になっている。この十二面は、建築設計者にいわせると、世界の十二大宗教を表したものである。これまでその設計者に、その十二の名前を聞いたものはいない。これは幸運だった。聞かれても、彼には答えられなかっただろうから”
“わたしはいまから職員としての最後の務めを果たすことにします。それは、もしあなたの運が悪化したときにだけあなたに渡すようにと、先代がわたしに手紙を託されたことを、お知らせすることです。もしあなたのツキがほんとうに去った場合、その手紙をウィルバハンプトン・ホテル二二三号室の枕の下へ置くようにと、わたしは指図を受けています。一時間前に、わたしはその手紙を枕の下へ置いてきました。さて、ここでわたしは社の卑しい忠実な僕として、あなたに一つの小さなお願いを聞いてほしいのです。もし、その手紙が、人生とはなにかについてほんのわずかな光でもあてているようでしたら、ご面倒でもわたしの家に電話していただけないでしょうか”
“そのあとでおまえの母さんがあの浜辺でとったおまえの写真を送ってくれた。わたしは写真の中からおまえがわしを見る目つきを見てひょっとしたらこれだけの金の山はこの子のために積まれたのかもしれんぞと思った。わしはなんのことかさっぱりわけがわからんで死んでいくがこの子はいつかとつぜんにそのわけをはっきりさとる人間になるかもしれんぞと思った。いくら半分死人でもそれがどういうわけか知らんで生きとるのはいやなもんだよ”
“親愛なるアンク———と手紙ははじまっていた。
親愛なるアンク———と手紙ははじまっていた。
おれがたしかに知っていることを、そんなにたくさんじゃないが、ここに書いておく。この手紙のおしまいには、おまえがなんとしてでもその答えを見つけなきゃならない質問を、ずらっと並べてある。この質問はたいせつだ。おれは、もうおれがこれまでに知っているいくつかの答えよりも、その質問のほうをいっしょうけんめいに考えた。そうして、最初にわかったたしかなことは、これだ———(一)もし質問がいいかげんだと、答えもやはりそうなる”
“彼女は、アンクが彼女の息子の父親であることを、すこしも疑わなかった。人生とは、そんなものである。彼女は彼に見おぼえがなかったし、こんど会ったとき———もしこんどがあればだが———見分けがつくように、彼をよく観察することもしなかった。彼にはもう用がないのだ”
“中佐はそこではじめて、たいていの人間が自覚せずに終ってしまうことを自覚した———彼が残酷な運命の犠牲者であるだけでなく、その残酷な運命のいちばん残酷な手先のひとりであることを。その女は、このまえ彼と会ったとき、彼を豚のように見くだしたのだった。そして、彼はいま、自分が豚であることを、疑問の余地なく証明してしまったのだ”
vol.10
2014.8.3(sun)
特に需要はないかも知れないけれど時おり登場する、読んだ本からの引用シリーズ。
“彼女の才能は詩人のそれであった。まえに匿名で〈ティミッドとティンブクツーのあいだ〉という題の小詩集を出版したことがある。これはかなりの好評を博した。この題名は、小辞典で見るとティミッド timid とティンブクツー Timbuktu のあいだの単語はぜんぶ時間 time に関係している、という事実にちなんだものである”
“『いろいろなふしぎと、なにをすればいよいかの子ども百科』”
“招待状の中のほとんどの文章に、力説という言葉が含まれていた”
“「メッセージのあるなしにかかわらず、物事はあっちこっちへと飛びかうんだよ、きみ。それはたしかに混沌だ、なぜなら宇宙はいま生まれつつあるからだ。その大いなる生成が光と熱と運動を作りだし、きみをこなたからかなたへと吹っとばすのだ」”
vol.9
2014.7.26(sat)
色々あった結果、一昨日からお腹が痛いのですが、先週日曜日7/20はアルバムリリース元の円盤にて、レコ発イヴェントがありました。
一組目:BONSAIt(tは小文字なのですが、不甲斐ないことにこのホームページ、小文字が出せないのです。すいません。)
ウエハラリョーコ / 田口史人 / 宮川いずみ(サボテン) / 服部峻 TAKASHI HATTORI という豪華メンバー。
二匹の金魚が泳ぐ水槽をヴィデオカメラで映してリアルタイムでスクリーンに投影(映像=光にもフィードバックがある、って初めて知りました。)、スクリーンに描かれた五線譜の上を金魚が移動するのを音符に見立てて演奏する、というような内容だった。リョーコさんといずみさんは胸にあてた聴診器の音、服部峻はシンセサイザーの演奏、田口さんが映像と金魚のコントロール。思い付いたことを掛け値なくやっていく自由な感じがして、リラックスして観られた。峻氏の演奏はシンセサイザーでもピアノでももっと長時間観ていたいといつも思う。
二組目:F.L.Y.
最前列で観ていて写真撮り忘れた。BONSAItの写真も別にここに載せようと思って撮ったわけではないけど、。山田民族さん、山我静さん、SACHI-Aさんという3人編成で、それぞれプレイヤーとしては度々観たり聴いたりして個人的に尊敬している方々なのですが(特にSACHI-AさんはAtacolletteさんのアルバム『Ayacollepian』でのドラムが本当に大好きで、尚かつこのCDは毎年この季節、ほぼ毎朝のように聴いてる)、F.L.Y.のライヴ自体は初めて観ました。曲も演奏もバンドの雰囲気も良かったな。かなり捻りが効いてるんだけどグルーヴィで親しみやすいと云うか、。偉そうですが、。終演後、山田さんとギターの話で非常に盛り上がって楽しかった。
で、場を温めて頂き、レコ発ということで最後は自分たち。前回に引き続きセットリストを載せてみます。
2014.7.20(sun) shacique@enban
-MC1-
1.グレート・バリア・フリー
-MC2-
《album medley 1》
2.岬のオラウータン
3.Istanbul Morning(song by 服部峻 Takashi hattori)
4.呼ぶこえがきこえる
5.夏に美味しい水
6.私は何も考えない
《new songs 1》
-MC3-
7.子馬にあいたい
-MC4-
8.ドラゴンズ(大福vo)
《album medley 2》
-MC5-
9.Lost Gray(song bu 服部峻 Takashi HATTORI)
10.大冒険と冒険
11.家族の箱の中庭で
12.ユートム(大福VO)
《new songs 2》
-MC6-
13.走れ!ブルドッグ(初演)
-MC7-
14.JASMINE(大福vo)
-MC8-
15.Patriot songs about her
-MC9-
16.氷の宇宙船(アルバトロス)
久しぶりにたっぷり演奏して疲れました。70分ほどだけど、。聴いてくださった皆さんどうもありがとうございました。温かく聴いてもらえている気がしてありがたかったです。あと思ったよりたくさんの方が観にきてくださっていて嬉しかった。
青字がアルバムに入っている曲、緑字がアルバム以降に作った新曲です。今回初の試みが2つあって、1つは、アルバム収録曲を短縮ヴァージョンのメドレー形式でやってみたこと。もう一つは予めMCをどこに入れるか完全に決めて、さらに録音したしゃべり(MC)をサンプラー(機械)に入れて、ステージ上の人間は一言もしゃべらずにそれを流す、という試みでした。大体いつもしゃべりで失敗するし…あと、サンプラーがしゃべってるあいだ少し休めるのも良かった。各所1分ちょっとのMCを録音したんだけど、サンプラーがしゃべってるの聴いてると「なげえ〜」って感じがして(自分の口でしゃべると2分も3分もしゃべっちゃうのに)、殆ど途中でフェードアウトして切った。それで笑ってもらえたのも良かった。けどそんな訳で殆ど曲の紹介としては機能していなかったので、この日来たお客さんでMCのフルヴァージョンが聴きたいという方いらっしゃいましたら、ご連絡頂ければ音声ファイルでお送りします 笑。ライヴに来なかった人には129円で売ります。演奏の方は割と好評だったのですが、やはり前半緊張してしまって硬く、尻上がり感は否めなかった。もっとプロっぽく、マイケルジャクソンばりに最初から全開モードで発射できるようになりたい。
終演後、アルバム制作関係者の皆さんと撮ってもらった写真。全員一緒の写真を撮りたかったんだけど、常に誰かしら居なくて叶わず…しゃしくえのメンバーすら、どちらの写真でも1人ずつ欠けて揃っていない 笑。
アルバムに寄り添った素晴らしい唯一無二の装丁・デザインを手掛けてくださったデザイナーの宮一紀さん、円盤田口さんとしゃしくえ。宮さんはカッコイイ人だ〜。田中が持っているのはマスタリングをしてくださったAMEPHONEさんの超傑作レコード、「Retrospective」。
AMEPHONEさんと服部峻、円盤田口さんとしゃしくえ。峻氏からこの写真は絶対ネット上にアップしないでくれと言われたんだけど載せたすぎて載せちゃった…ごめん、でもモノクロにしたから許して。みんなが持ってるのはしゃしくえの『キラリティ』、Amephoneさんが左手に持ってるのは服部峻『unborn』。謎の宣伝写真。amephoneさんもカッコイイ人だ〜。音楽とか生き方は勿論だけど、存在感がカッコイイ。あとこの髪の毛と髭!自分の髭とかマジオモチャ。
というわけで感謝だらけのレコ発でした。ありがとうございました。しかしこれで終わりというわけでは勿論なく、色んな人にCDを聴いていってもらいたい。他店での取り扱いは9月頃から少しずつ始まる予定ですが、それまでは円盤限定(と、バンドからの直売)での販売になります。踏ん張りに踏ん張って生み出した自信作です。
円盤のサイトでの通販・情報はこちら(アルバムの紹介文も読めます)。
我々に直接お問い合わせ頂いても大丈夫です。 gibson-eb0@jcom.home.ne.jp
アルバムの詳しい内容や紹介などは、今後また少しずつ、適宜、ネット上でも紹介していけたらと思います。
しゃしくえの音楽は、ずば抜けて新しいというわけではないけど、似ている音楽というのも殆ど無いのではないかと思う…なぜなら特に何の真似もしていないから、。好きな音楽はたくさんあって、そこから影響を受けている所も多々あるんだけど、表面的な部分からそれを判る人は少ないのではないかと思う。大したことじゃないんだけどそのような点には自信がある。
—–
オマケ
最後の曲でサングラス掛けようと思ったんだけど緊張してて忘れた。終演後、大福が掛ける
少し灰野敬二、
イヴェント終了後、朝6時頃まで服部峻へのインタビュー/対談を行なった。とりあえず自分にとっては物凄く有益な時間になった。ちょっとした考えがあり、詳細はまた後日という感じなのですが、1つだけ嬉しかったのは、峻氏と自分との共通点の1つとして「山下達郎のアルバムで一番好きなのは『COZY』だ」というテーゼがある、ということが明らかになったことだ。
—–
翌日、『キラリティ』のCMを編集してくれた五十嵐さんの引越し手伝い。3年前の震災直後の引越しも手伝った。その日からこの日までの3年間五十嵐さんが住んでいた家はウチからかなり近く、3年前の引越しの日は「遊びにきます」と言って帰ったが、結局一回も行かなかった(行きたいとは思っていた)。なので、その家を訪れるのはそこに引っ越してきた日以来だった。カッコイイ家からカッコイイ家へ。五十嵐さんもカッコイイ人だ。引越し作業が終った後、手伝ったメンバーで、たかるようにして五十嵐さんに焼肉をおごってもらいに行った、その店の近くの公園で見つけた看板。そんなに凄くはないけど犬の顔が好き。犬の表情と彼のウンコと、彼のウンコに対する彼の眼差しと、看板にかかれたメッセージと、「ババア」という落書きの関連性が少しよく分からなくて、かわいいなーと思った。
次回のライヴは8/16(sat)、2年ぶりの夏の渋谷O-nestにて、エネルギッシュゴルフのイヴェントに参戦します。
VOL.8
2014.7.12(SAT)
先週の土曜日7/5は七針でライヴでした。8ヶ月ぶりのライヴ、11ヶ月ぶりの七針。七針の林谷さんは相変わらず最高にカッコイイ。
普通のバンドと比べると全然ライヴなどをしていない我々だが、もはやこれくらいのペースでも「久しぶり」という感じは特にしない。が、それで良いと思う。新曲2曲《子馬にあいたい》と《ジャスミン》、どちらも初演にしては概ね良い感じに出来たと思う。後者はゆっちゃんがヴォーカル。この日は出来なかったけど、いま取り組んでいる新曲はもう1曲ある。
共演の鉄雄(添田さん)、スッパさん共に身体の動きがスゴくて、自分ももっと体操などを頑張らなければいけないと思った。鉄雄は近くでよく観ると横移動する時の足の動き(ステップ?)がヤバかった。スッパさんは身体全体が柔らかい感じで、音楽にもそういう包容力や柔軟性があって心地良かった。そこにドッシリした安定感を持って寄り添う野中太久磨さんのピアノ。あと急遽参加していたギターの人の演奏もトリッキーで素晴らしかった。
来週の日曜日7/20は、しゃしくえのアルバム発売記念のイヴェントが、リリース元である高円寺の円盤にてあります。共演はBONSAItとF.L.Y.。BONSAItには服部峻も参加。豪華な先輩にサポートしてもらって楽しい日になると思うので是非遊びに来てほしいです。
スッパさんが七針の写真を撮っていてくれたのを勝手に拝借。
たまにはセットリストでも載せてみよ。
7/5(sun) しゃしくえ @八丁堀 七針
1.Patriot songs about her
2.Istanbul Morning – cover of Takashi Hattori’s song
3.子馬に会いたい(新曲)
4.ジャスミン(新曲)
5.ドラゴンズ
6.Humanity – cover of Takashi Hattori’s song
7.氷の宇宙船(アルバトロス)
vol.7
2014.7.7(mon)
やっと読み終わった。面白かった。(6/25から読んでいた本。)
“有史前の人類は、自分を取り巻く世界を、粗野で感覚的な、人間形態主義(アントロポモルフィズム)的な方法で把握していた。しかし、現代の、見かけはきわめて抽象的で、最高度に理論的な、数学的に表現された学問の成果でさえも、じつはそこからほんの一歩か二歩くらいしか前進していないのではなはいか。彼は、相対性理論や力場の定理の公式、パラ静力学、単一宇宙極仮説などの中に、身体の痕跡、つまり人間の感覚が存在することから派生し、その結果現れるものすべてを追い求め、さらにわれわれの身体の組成の痕跡や、人間の持つ動物的生理の限界と欠陥の痕跡も追い求めた。その結果、彼がたどり着いた最終的結論とは———人間の形を取らない、非ヒューマノイド型文明と人間が「コンタクト」に成功するなどということはあり得ないし、今後も絶対にあり得ないだろう、というものだった”
“まるで海から伸縮自在の花が生え出てきて、その花びらが私の指に触れないまま鋳型のように指を取り巻いてしまったかのようだった。私は後ずさった。しなやかで柔らかい茎が震えはじめ、いやいやながらのように下に戻った。そして心許なげなその茎を波がさらって呑み込んだかと思うと、岸の縁の向こうに消えてしまった。私はこのゲームを繰り返そうとしたが、やはり百年くらい昔と同様に、次に寄せて来た波はまるで新しい印象には飽き飽きしたとでも言わんばかりに、無関心に引いていった。波の「好奇心」を再び呼び醒ますためには何時間か待たなければいけない、ということも私にはわかっていた。私は前と同じように腰を下ろしたが、自分で呼び起こした、理論上よく知られているこの現象のせいで、別人になったような気分だった。理論は現実の経験を再現することはできなかった。理論にそんな力はなかったのだ”
vol.6
2014.7.1(TUE)
7月…引き続き前回と同じ本を読み進めています。
“きみも知っているはずだが、科学が扱うのは、何かがどのように起こるかであって、なぜ起こるかではない”
“われわれは宇宙に飛び立つとき、どんなことに対しても覚悟ができている。孤独、戦闘、殉教、死———なんでもござれ、というわけだ。謙遜の気持ちから、口に出しては言わないが、内心、ときには自分で自分のことを立派なもんだ、なんて考えることだってある。しかしだよ、実際のところはそれだけじゃすまなくなって、結局、覚悟なんてポーズにすぎなかった、ということがわかる。われわれは宇宙を征服したいわけでは全然なく、ただ、宇宙の果てまで地球を押し広げたいだけなんだ。惑星の中にはサハラ砂漠のように荒れ果てたものや、北極か南極のように氷に閉ざされたもの、ブラジルのジャングルのように熱帯性の気候のものなどがあるはずだ、というわけだな。われわれは人間的で気高いから、宇宙に住む他の種族を征服しようなどとは思わない。ただ、自分たちが貴重と見なすものを彼らに伝え、その代わりに彼らの遺産を受け継いでしまおう、というだけのことだ。人間は自分のことを聖なる接触(コンタクト)の騎士だと考えている。でも、これが第二の欺瞞だね。人間は人間以外の誰も求めてはいないんだ。われわれは他の世界なんて必要としていない。われわれに必要なのは、鏡なんだ。他の世界なんて、どうしたらいいのかわからない。いまある自分たちの世界だけで十分なんだが、その一方で、それだけじゃもう息が詰まってしまうとも感じている。そこで自分自身の理想化された姿を見つけたくなるのさ。それは、われわれの地球よりも完璧な文明を持った天体でなければならない。そうでなかったら、自分たちの原始的な過去の似姿を見出すことを期待するんだな。ところが実際には、われわれの世界の向こう側には、何やら人間が受け入れられないもの、人間がそれから身を守らなければならないようなものがある。結局のところ、われわれが地球から運んできたのは、美徳の精華や、英雄的な人間像だけじゃないんだから!ここに飛んできたわれわれは、実際にあるがままの人間にすぎない。そして、宇宙の向こう側から真実が———突きつけられたとき、われわれはそれをどうしても受け入れられないんだ”
“人間は一度にはほんの少しのことしか把握できない。私たちの目に見えるのは、目の前で、いまここで起こっていることだけだ。互いに何らかの形で結びつき、補いあうことさえする多くのプロセスが同時に進行している場合、それを一目瞭然に見てとることは人間の能力を超えている。それは、対象が比較的単純な現象であっても経験することだ。一人の人間の運命は多くのことを意味し得るが、数百人の運命はもう把握することが難しい。そして、千人、百万人の歴史となると事実上、何も意味しなくなってしまう”
vol.5
2014.6.26(thu)
昨日読み始めた本おもしれー
“とても細かい砂の粒が薄い膜の上にこぼれ落ちるような、さらさらという音が聞こえた”
“そして私はまたもや重要な瞬間を見逃してしまった。惑星が現れた瞬間だ。気づいたとき惑星はもう巨大で平たい姿を広げていた。その表面の縞の太さから、まだ自分が遠くにいると見当をつけることができた。いや、遠くではなく、高いところにいるというべきだろう。というのも、天体からの距離が高さに変わる、あの捉えがたい境界をすでに過ぎていたからだ。私は落ちていった。相変わらず落ち続けた”
“円筒状の廊下は空っぽだった。私は閉ざされた扉の前にしばらく立って、聞き耳を立てた。壁は薄いようだった。外からむせび泣くような風の音が聞こえてきたからだ。ドアの板にはちょっと斜めに、無造作に長方形の絆創膏が一枚貼り付けられていて、そこに鉛筆で「人間」と書いてあるのが見えた”
“洋服簞笥の中に、薄手の体操服が見つかった。これなら身につけたまま、その上に宇宙服を装着することもできる。私は自分のわずかな所持品をそのポケットに移した。そのときメモ帳のページの間に、何か固いものがあることが感じられた。どのようにして紛れ込んだのかわからないが、地球の私のアパートの鍵だった。どうしたものか分からず、しばらく指でくるくる回していたが、結局はテーブルの上に置いた。ひょっとしたら何か武器が必要になるのではないか、という考えがふと頭に浮かんだ”
”そして、ゆっくりと簞笥に近づき、中を覗いた。———作業服やその他の衣類はひとかたまりになって、片隅に押し込められていた。まるで誰かが簞笥の中に立っていたかのようだ。床の上の書類の山からは、一枚の封筒の角が突き出ていた。その封筒を取ってみると、私宛のものだった”
vol.4
2014.6.20(fri)
今週は網戸が気持ちいい天気が続いて助かっていますが、それとは関係なく某書からの引用。
“善ってなんだと思う。困っている人を助ける、とか仲良くする、とか、誰かを傷つけないようにする、とかそういうことじゃないよ。確かにそれもあるんだけど、そういうのはあくまで「善」の細かいディテール。良いこと、善、っていうのは、突き詰めれば「ある何かの価値観を持続させる」ための意志なんだよ。そう、持続。家族が続くこと、幸せが続くこと、平和が続くこと。内容は何でもいいんだ。人々が信じている何事かがこれからも続いていくようにすること、その何かを信じること、それが「善」の本質なんだ。でも、永遠に続くものなんてない。そうだよね。だからこそ「善」は絶えず意識され、先へ先へと枝を伸ばしていかなきゃならないんだ。善は意識して維持する必要があるんだよ。というより、意識して何事かを信頼し維持することそのものを善と呼ぶんだ。善の在り方は色々あれど、ね。だけど、人間のからだはそんなふうにできてはいないよね。人間は成長する。人間は老いる。人間は病気にかかる。人間は死ぬ。自然には本来、善も悪もないんだ。すべてが変化するから。すべてがいつかは滅び去るから。それがいままで「善」がこの世界を覆い尽くすのを食い止めてきた。善の力で人間が傲慢になるのをぎりぎりのところで防いできた”
”みんなは決めつけてくれる人間が好きなんだよ。何かを決めてくれる、決断してくれる人間のまわりには「空気」が生まれる。科学者はそれが苦手なんだ。だって、正しいことっていうのはいつだって凡庸で、曖昧で、繰り返し検証に耐えうる、つまらないことなんだから”
”完璧な調和とは、何も意識しなくてよいという結果に必ずつながってしまうだろうと。意識とはまさに、脳の無意識下に存在する多数のエージェントの利害を調整するためにあるのであって、いわば意識されざる葛藤の結果が我々の意識であり、行動であるのだと。そして調和のとれた意志とは、すべてが当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態だと。完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまったと”
”山を登りながら、わたしは考える。たとえば糖尿病のことを。糖尿病は、寒冷気候に対応するために人類が獲得した貴重な形質のひとつだ。糖分を含んだ水分は、氷点がゼロ以下になる。それは急速な寒冷期に襲われた人類にとって有用な性質だったはずだ。糖が血管をぼろぼろにして、腎臓がいかれてしまっても、それが命を奪う時は何十年か経ってからのこと。それまでに子を成していれば、遺伝子にとっては万々歳だ。糖尿病は、人類の進化の一部なのだ。進化は継ぎ接ぎだ。ある状況下において必要だった形質も、喉元過ぎれば不要になる。その場その場で必要になった遺伝子の集合。人間のゲノムは場当たりの継ぎ接ぎで出来ている。進化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。人間は、いやすべての生き物は膨大なその場しのぎの集合体なのだ”
vol.3
2014.6.16(mon)
気になっていること①
野良猫とかが人間を見ると逃げるのは、「人間は賢くて強くて恐い生き物である」ということを知っているからだと思う。野良猫のDNAには「人間は恐い」という知識が代々受け継がれていて、だから人間を見ると「ヤバい」と思うし、人間に捕まったら「しまった」と思っている気がする。その点、海の魚はどうなんでしょうか?釣り上げられた魚は基本的に食べられちゃいますよね?だから、「人間に釣り上げられる」という経験をした魚は、「人間に釣り上げられるのには気を付けろ」という教訓を、自分の子ども(魚)のDNAに残すことが出来ない気がする。ということは、魚は人間に釣り上げられた時、野良猫が捕まった時のように「しまった、人間に捕まった」とは思わず、何が起こったのか分からない状態のまま死んでいくのでは?エサを食べているつもりがいつの間にか喉に痛い針が刺さってるし息は出来ないし、みたいな感じで。それとも魚のDNAの中にも「人間に釣り上げられる」という事態に関する知識は刻まれているのでしょうか?
気になっていること②
以前どこかで、「貨幣は、それそのものが持つ『物質としての価値』が、『その貨幣が示す金額』と等しいことによって、初めてちゃんとした流通機能(資格?)を持つ」というようなことを読んだ。たとえば、10円玉は銅○○グラムで出来ていて、銅○○グラムには10円分の価値があるから、10円玉という硬貨は流通が成立する・・・というような具合。僕は貨幣や経済といったものの仕組みがちゃんと分かっているわけでは全然ないのだが、この話を読んだ時には妙に納得するものがありました。で、気になるのは、電子マネーとかはその点に関して何か問題はないのでしょうか?ということ。というか『経済』や『金』といったものは自分には一生理解できないものだ、という気は以前からしていますがね、。
気になっていること③
蟻がやたらと部屋に入ってくるのですが、何が目的なのでしょうか?蟻も羽虫とかみたく明るいところに集る習性があるのかな?部屋に入ってきてもエサなんか無いし出口が分からなくなって死ぬだけなのに、。相手が蟻だと分かっていても「馬鹿なのでは?」と言いたくなる。あと、蟻が部屋に入ってくるのをやめさせたいのですがどうすれば良いのでしょう?ちなみに以前調べたことがある気がするのですが、羽虫とかが夜、明るいところに集りたがる理由は正確には分かっていないらしいです、確か。違いましたっけ?
vol.2
2014.6.11(wed)
今年のtokyoの梅雨は数年ぶりにベタな梅雨って感じがするのですが。あと梅雨好きです。
それとは全く関係のない某書からの抜粋ですが、。
「いろいろな国が、部族が、軍事体制化していく時代の資料をながめているとき、わたしの頭にこういう妄想がときどき去来するんだよ。街角に書かれたスローガンには、実は意味なんかないんじゃないか、とね。そうしたスローガンの直線的な『響き』が伝えているのは、憎め、守れ、そんなプリミティヴな感情を伝えるための音楽なんじゃないか、そういう妄想だよ」
「けものの咆哮と、人間の言葉は違う」
「本当にそう思うかね。私には自信がない・・・ゲーテはこう書いた。軍隊の音楽は、まるで拳を開くようにわたしの背筋を伸ばす、とね。われわれが空港やカフェで聴くように、アウシュビッツにもまた、音楽は在った。目覚めを告げる鐘の音、歩調を合わせる太鼓の響き。どれほど疲れきっていても、どえほど絶望に打ちひしがれていても、タン、タン、と太鼓がリズムを刻めば、ユダヤ人たちの体はなんとなくそう動いてしまう。音は視覚と異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」
vol.1
2014.6.8(sun)
昨日までymgtに行ってました。よくドライヴにいく港で撮った写真。
火力発電所や風車があります。とても良い港です。
東北は地の果てのような場所が多いと思う。それからいつでもどこかで何かが唸っているような…
この港のような、広大で、誰もいなくて何もないのに巨大な建造物が静かにある、というような雰囲気の曲を作りたい、ということを度々思いますが。
(勿論この港では普段は働いている方がたくさんいらっしゃるはずです。見たことはありません、。)
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