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vol.77
2016.12.31 (sat)
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数日前の昼、家でテレビを観ていたら「ゴン!」と窓に何かが激突する音がして、ベランダを覗いてみると1匹のスズメが落っこちてピクピク痙攣していた。
指でつっついてみても全く逃げようとしない(逃げるだけの力がない)ので「可哀想だな、死んじゃうかもな」と思いつつタオルにくるんで部屋の中に入れ、窓の前に寝かせた。
身体を少し調べてみるが、首や足、羽に折れたようなところは無い。
でも撫でたりタオルでくるんだりしても、やはり痙攣しているばかりで逃げようとはしない。
しばらく様子を見ようと思いトイレに行ったりして2〜3分後に戻ると、スズメはまだ同じ場所にいた。
もう一度撫でてみようと思って近づく。指先があと数センチで身体に触れる、というところでスズメはバタバタッと飛んで窓から外へ出て行った。
ものすごく素早い動きで、自分はなぜかそれを「蜂のようだ」と思った。そして飛び立った直後、スズメから「助けてくれたお礼に、ちょっとだけ触らせてあげたよ」みたいなことを言われたような気がした。

 

*
今年もしゃしくえの活動に関心を持ってくださった皆さま、ありがとうございました。
2016年の活動報告(?)は1つ前の記事に⇩。
あとうっかり山本君と作ったアルバムのことを書き忘れてました。
こちらからフリーでダウンロードできるので、まだの方はぜひ聴いてみてください。
2017年 / 平成29年は、字面(数字)的にもいよいよ未知の未来の領域に入っていくという感じが、何となくする。
来年生まれる子どもたちが大人になる頃には世の中はどんな風になっているだろう。
自分は音楽が好きだと思う。
好きすぎて、最近は音楽のどこが・なぜ好きなのかよく分からなくなってきた。
まるで自分のことではないかのように。
来年もよろしくお願いします。良い年をお迎えください。

 

 

 

 

vol.76
2016.12.26 (mon)

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今年はしゃしくえではあまり表立った活動ができませんでした。。
ライヴは9月に一度やっただけ。
しかも山本君はロシア滞在中で欠席で、大福と僕のデュオでした(でもこれはこれで面白かった)。
あとは新しいアルバムのレコーディングをちまちまと進めていました。
先週末は2日連続で2人のパートを録音。楽しかった。上の写真はその時のものです。
来年はもっと精力的に……と言いたいところですが、どうなるか不明。
でも引き続きマイペースに取り組んでいけたらと思います。
とりあえず2枚目のアルバムは完成させたい。
あと来年でバンドスタートから10周年なので、何かしらやりたい。
と今は思っています。
アルバム制作の方は、2人のパートの録音はほぼ終わって、あとは自分のパートの録音と、地獄のミックス作業など。
それとゲスト参加を何人かの方にお願いしようとも思っています。

しかし自分だけの作業ぜんぜんやりたくない。
アルバム制作で一番楽しいのは、みんなでレコーディングをすることだとつくづく思う。
レコーディングだけやりまくって後は全部放置したいのだがそうもいかない。

 

……というわけで今年はあまりにも表立った活動が少なかったので、先ほどSoundCloudに新しい音源を3つアップしてみました。
よかったら聴いてみてください。

 

▼2015年9月 / 京都アバンギルドでのライヴ音源から「Thanks For Your River」。
▼2016年9月 / 最近のリハーサル音源から、まだ名前と歌詞のない一番新しい曲。
▼(おまけ)2015年3月頃に作った「闇」という曲のMIDIデモ音源。

 

 

 

vol.75
2016.12.17 (sat)
先々週、昔一緒にバンドをやっていた女友だちの結婚式に行ってきた。
「昔やっていた」と書いたけど解散とかしたわけではない。
ここ5年ほど特に何も活動らしいことをしていないのだが、またそのうち何かやるかも、という感じだと思う。
笑えるコーナーがたくさん盛り込まれていて、明るい雰囲気でとても良い結婚式だった。
学校や職場とは全く関係のない場所で知り合って、結婚式に呼んでもらえる間柄にまでなれた友だちがいる、というのはとても幸せなことだと思った。
喩えるなら「街で出会った友だち」。より詩的かつ自分が相応しいと思う表現をするなら、「野原で出会った友だち」だ。
旧石器時代とかの自分たちの先祖は、獲物が捕れたり子どもが生まれたりしたら「ウオー」という感じで儀式や祭りのようなことをしていたと思う。そこには太鼓とか角笛みたいな原始的な楽器もあったかもしれない。
で、いま自分が生きている現代はどうかといえば、基本的にはその頃と特に何も全然変わってないんじゃないかと思う。儀式も楽器も、音楽も社会も。
結婚式というものは、そういうことを自然に感じさせてくれる場だと自分は思っている。
自分自身の結婚式の時はどうなんだろう? そもそも結婚式などやるのか・やれるのか、という話もあるが。
実は友人の結婚式に参加したのは今回が初めてだった。
でも最近自分の周りでは結婚や出産のラッシュ(俗に言う「第1波」みたいなものか?)が割と起こってきているような感じがする。
そして色んなめでたい話を聞いて「よかったなあ」と思うたび、自分や自分の世代の皆が、着実に死に近づいていることを実感する。そんな気がする。
これは全くもってネガティヴな感想ではない。
死の先にはこことは違う世界・段階がある、と自分は何となく思っているから。

 

*
ネットで賃貸物件を探していて、とある物件Aが気になった。
しかしその物件を扱っている不動産会社B社は少し遠い場所にあったので、近場の不動産会社C社でその物件の詳細を聞いてみることにした。
C社の担当者曰く、
「こんな物件は存在しない。国土交通省のデータベースにも載っていない。そもそもこの場所・この条件で、こんな安い賃料の物件が存在するわけがない。さすがにここまで相場は崩れていない。これは囮物件だ。存在しない物件で客を引き付け、別の物件を押し付けるという手口。そもそもB社は業界ではあまり評判が良くない」
そういった例はよく聞くし、自分が気になった物件はとても良い条件だったので、まあそうかもしれないな、という気になった。
そして一度も行ったことのないB社という会社に悪い印象を持った。
しかし何となくC社の担当者もどこか好きにはなれない気がした。
そんなわけで後日B社という会社にも足を延ばしてみた。
実際に行ってみると、B社の担当者や社内には特に悪い印象を持たなかった。
そして物件Aは普通に存在していた。まあ少しワケありの物件ではあったので、契約には至らなかったのだけど。
そして思い返してみると、物件Aのことを「存在しない」と言い切ったり、同業他社の悪口を初めて来た客の前で堂々と言うC社の担当者の方がよっぽど信用できないのではないか、というような気もしてきた。他所の悪口を言うことで逆に信用を勝ち取る、というやり口はあまり頂けないような気がする。「プロフェッショナル」であることを声高に主張しようとする人間はしばしば積極的に否定的・高圧的な態度に出る。何も知らない素人にはそれを信じ切ってしまう人も多いだろう。そうして多様性と懐疑性が削ぎ落とされる。それは真のプロではない、と自分は思う。
まあ自分が見たのはその2つの会社のごく限られた一面にすぎないので、結局はよく分からないのだけれど。
あと、不動産会社だけが閲覧できる、ほぼ全ての物件が網羅されている情報サイト。自分はネットで情報を探すのが割と得意なので、あのサイトを一般にも開放してくれれば物件を探す手間がずっと省けるのになと思った。仲介料は払いますんで。何か開放できない事情があるのだろうけど。
B社とC社の担当者は、2人とも元気で愛想は良いのだが体育会系というかそれに類似した雰囲気の人物で、ネットの情報をサーチしていくのがそれほど上手くないように見えたからだ。

 

不動産屋考察みたいなテキストになってしまったが、家を探して色んな不動産屋をウロウロしている自分は明らかに動物であるし、色んな不動産屋もまた明らかに動物である、というようなことを言いたくてこの文章を書き始めたのだった。

 

*
いま図書館で借りてきたブルーノートのオムニバスを聴いていたらギターの音が流れてきて、何となく「グラント・グリーンかな?」と思ったらグラント・グリーンだった。その辺りのジャズギタリストの聴き分けが未だあまり出来ない。

 

 

 

vol.74
2016.11.30 (wed)
昨年の8月にレコーディングしたピアノの音を、ここのところずっとミキシングしている。

 

*
ミキシングというのは平たく言うと「音を調整する作業」。
レコーディングした音素材に含まれている余分な帯域を削ったり、反対に必要な帯域を持ち上げたりする。それによって音を丸い感じにしたり鋭い感じにしたりできる。
この作業は、写真のホワイトバランスやブラックポイントを調整する作業に似ていると思う。あとインスタグラムのフィルターとか。
録った / 撮った素材は同じでも、そこに含まれる様々な細かい要素の値をいじることによって、聴こえ方 / 観え方が変わってくる。聴かせたい / 観せたい場所を浮かび上がらせ、そうではない場所をマスキングする作業。
「同じ素材なのに聴こえ方が全然変わってくる」ということを作業しながら実感するのはとても奇妙だ。「写真に似ている」と感じられるのも不思議だと思う。

 

*
ピアノの音をずっとミキシングしているのは、難しくてなかなか上手くいかないからだ。

たぶん音域が広かったり同時に鳴っている音の数が多かったり、あとは音が楽器の内部で複雑に反射していたりとか、色んな要素が録音素材の中に含まれているから難しいんだと思う。
上手くできないのには、技術不足や環境不足(機材や資金の不足)といった原因もある。
なるべく良い機材を集めて、なるべく色んなことを調べてレコーディングやミキシングに臨んでいるが、現時点では完全独学のアマチュアなので限界がある。全てのことを手探りでやっている。無駄に時間がかかる。
6月に発表したアルバムのように割とすんなり行くこともあれば、どこかの段階の処理が悪く、長い時間を要することもある。やってみないと分からない。賭け。
たぶんプロとしてやっている人に頼めば、もっと早く、もっと高く安定したクオリティでレコーディングやミキシングを終えられると思う。お金は多少かかるけれど、自分自身の手探り作業に費やす時間や気力を考えれば、結果的には安いものかもしれない。

 

*
でも自分自身の手でやっていると、いろいろと分かることもある。
たとえば、
・録音された素材の音
・目標として思い描いている音
・目標に届かない現状の音
様々な音が自分の頭の中にあって、その間を行ったりきたりする。
そのうち何が本当の音なのか分からなくなってくる。
録ったままの純粋な素材の音=「本当の音」なのか。それとも様々なエフェクトをかけて磨き上げられた音=「本当の音」なのか。
そして「本当の音」など存在しない、ということがよく分かってくる。
音楽を磨きあげることが難しいのは、音が目に見えないからだと感じるようになる。

 

*
陳腐な言葉でいえば、こういった感覚は非常に哲学的な問いに繋がっていくと思う。

音とは何か、録音とは何か、みたいなことを深く考えるようになる。
生で演奏される音楽と録音された音楽は全く別の物だ、ということがよく分かるようになる。

 

*
自分が作曲する曲には、それほど新しいテクノロジーが使われているわけではない。けれど、自分が採っている録音やミキシングの方法は、現代の「アマチュアが多少凝った機材を扱って試行錯誤できる状況」がなければ実現できなかったものだ。
自分とメンバーが心を込めて作ってきた曲や演奏、限られた環境下でのワケのわからないレコーディングやミキシングの試行錯誤、そしてそこから生まれる考察や執念の積み重ねによって、自分にしか作り出せない音を生み出せたら良いなと思っている。

 

*
録音された音楽、あるいはミキシングされた音というのは物凄く不自然なものだと思う。

自分はそこにとても惹きつけられる。

 

 

vol.73
2016.11.13 (sun)
*
両手で何かを持って運んでいる
野菜を切っている
ボーッとしている
モグモグ食べている
静かな場所で笑っている
どこかへ向かって歩いている
誰かのこういう何気ない姿や動作を見て「かわいい」「愛おしい」などと思うことがある。
目的のある動作をしていたり、あるいは逆に何の目的もなく停止している姿を見て「この人も一所懸命生きているんだな」と自然に感じた時に、そんな風に思うのかもしれない。
こういうことはよくある。そして「ふふ、かわいい」とか思ったりして終わるのだが、その時の自分の感情は「一所懸命でかわいいと思った」という言葉だけでは表現しきれない。決して大げさなものでもないのだけれど、そこにはもっと深く複雑な何かがあるような気がする。でも「かわいい」以外の言葉で表現しようとしても、適当な言葉は見つからない。見つける必要も特にないと思う。
こういった「すごく微妙で大したことでもないんだけど、言葉では表現できないもの」には日常的に色んな場面で遭遇すると思う。誰も言葉で表現しようとは思わないし、決して誰も言葉で表現できないもの。
けれど時折「これはなんなんだろう」と思う。でもそんな疑問もすぐ風に流されていく。
そこにある何か、あるいはその何かがある領域のことを、自分は「闇」と呼びたい。 
*
青春18きっぷを使って旅行したことがこれまでに3回ある。いちばん西まで行ったのは山口、北は山形。
1日10時間くらい電車で移動するので文庫本を何冊か持って行くのだが、読んでいない時間もそれほど退屈はしない。見慣れない町や乗客を見ているのが楽しいから。
そして地方のほとんどの駅には、ほとんど何もないことに気付く。
逆に東京や都会の駅からは、大抵何か目立つものが見える。それぞれの駅が何らかのキャラ立ちをしている。
でももちろん地方のそれぞれの駅にも町や村はあって、そこに人が住んでいて、同じ町や村なんて1つもない。けれど派手な都会に慣れていると、何もないように見える。
夕方を過ぎると辺りはだんだん暗くなっていく。夜になると、駅のない場所は本当に真っ暗だ。電車は何もない闇の中を進んでいく。でもきっとその闇の中身は1つ1つ違っていて、それぞれがそこにしかない闇なのだ。
その証拠に、電車は必ず目的地に着く。終電を逃して岡山で野宿したこともあったけれど。
日本の大部分の土地はそういった「闇」で覆われていると思う。
何もないように見えて、何かがある土地。
闇のない東京や都会の方が特殊なのだ。
一方で、日本のポピュラーミュージックのほとんどは、東京や都会の価値観を中心に据えたものなのではないかと思う。
18きっぷで旅行をした時とか、あるいは日常生活のふとした拍子に、そういった音楽が自分にとってのリアリティを失うことがよくある。
*
念のために書いておくけれど、上の2つの文章の中で、僕は「闇」という言葉を決してネガティヴなものとして使っているわけではない。
あえて言うならば、ネガティヴでもポジティヴでもなく、そしてその中立ですらもない、何もない何かだと思う。

そして僕は「闇」を表現する音楽を作りたいと思うことがしばしばある。 
*
少し散らかった文章になってしまったけれど、前々から書きたかったこと。
ギターの録音に行きづまって、少しとっ散らかった頭の中を整理したくて書いてみた。
違う時に書いたら違う文章になると思うけれど、以前からずっと同じようなことを考えていると思う。

 

 

vol.72
2016.10.23 (sun) 
不安や恐怖、あるいは欲求といった感覚は、肉体や本能が鳴らす警告のようなものだ。というような話はよく聞くし、普通に納得できる気がする。では反対に、幸福感や「何も怖くない」「満ち足りている」といった感覚には、一体どんな意味や機能があるだろう。数日前の朝、幸せそうな表情で道を歩く親子とすれ違って、そんな風に思った。
ここ最近の自分は、満ち足りているわけでも、満ち足りていないわけでもないと思う。時間がたくさんあるわけではないけれど、落ち着いて少しずつ色々なことを考えたり、何かを作ったりすることができている。そしてそれは自分にとってとても良いことだ。もしかしたらこの凪のような今が、人生で一番素晴らしい時間なのかもしれない、などともたまに思う。秋の中にいると、そんな感覚が枯葉の葉脈のようにくっきりと浮かび上がってくる。
ブログらしいブログになってしまった。
最近のライヴ音源などをいくつか近々アップしてみたいと思っています。

 

 

vol.71
2016.8.26 (fri)
“昔からあまり良く意味が分かっていない言葉”の1つに「インターハイ」があったのだけど、ひょっとして「inter high school」の略なのではないかということに、さっき仕事の帰りに自転車を漕いでいて急に気づいた。まだ答え合わせはしてないけど。
来月1年ぶりにライヴするのでぜひ来てください。山本君は不在ですが。
新曲3曲くらいやりたいと思っているのですが、2曲目の歌詞が思いつかない。
1曲目はインスト。3曲目の歌詞は1日で書けた。
*
碧い闇の中で氷だけが光を弾く
熱い海の底で氷だけが形を変える

 

 

 

vol.70
2016.7.31 (sun)
*諸事情によりこの記事は現在公開を停止しています。
かわりに特に関係ない著名人の名言を載せておきます。
「死ぬのはいつも他人ばかり」 / Marcel Duchamp
(2016.11.23 updated)

 

 

 

vol.69
2016.6.12 (sun)
3月に田中×山本のデュオで録音したセッション音源を、アルバムの形にしてリリースしました。
フリーダウンロードなので多くの人に気軽に聴いてもらいたいです。
詳細はこちらから。
大福がいないのはケンカしたから、などというわけではないのでご安心ください。 

 

 

 

 

vol.68
2016.5.9 (mon)

 

吹雪のなかを旅人が歩いていく
風が強さを増すたびに歩行の感覚は遠のく
それでも旅人は歩き続けることができる
もはや歩いているのは旅人ではないのかもしれない
やがて風の音と氷の白さだけが旅人を包み
彼は雪の世界のなかに消える
誰も見ていないその世界の全てが吹雪になる

そこにはあらゆる感情がないだろう
多くの美がそうであるように

 

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vol.67
2016.4.23 (sat)
4月の第2週、渋谷の東急ハンズで大事にしていた黒い傘を失くした。
翌日電話をかけて落とし物で届いていないか問い合わせてみたが無かった。
というわけで諦めていたが、3日後「見つかった」という連絡が来た。
その翌週、半蔵門線の車内で大事にしていた黒い水筒を失くした。
翌日電話で問い合わせてみたら鷺沼の駅に届いていた。
これは吉兆なのか凶兆なのか…
どちらとも判断しがたいが、何となく象徴的な出来事だった。
自分は普段、街中で何かを失くすことは殆ど無い。
そして失くした場合は殆ど出てこない。
しかし何らかの象徴・予告であったとしても、現段階では特に何も起こっていない。
今週の火曜日は自分の誕生日だったんだけど、高校の時の担任の先生がいきなり「おめでとう」メールをくれて驚いた&嬉しかったことくらい。
四半世紀生きたので気を引き締めていきたい。

 

 

vol.66
2016.3.30 (wed)
今月は長めの休みがあったので、香港と東北に行ってきました。
東北は青春18切符で全部電車。
前日に思い立って初めて訪れた猪苗代湖で一泊し、そこから母の実家がある山形まで行ってまた電車で帰ってきた。
詳しい感想はひとまず割愛しますが、今回の旅行も色々と凄く勉強になった。
数万円出せばいつでもまたこの街に来ることができる、と考えると少し元気になれる気がする。
———
昨日はロシアから生還した山本君と4ヶ月ぶりに会ってスタジオに入り、2人でインストの曲をレコーディングしてみた。
いくつか良い音源が録れたので近々何らかの形で発表したい。
———
Aメロ→Bメロ→サビ、みたいな繰り返しが何回かあって、4分くらい経つ。
最後のサビでメロディや節回しが少し変わったり、小節が1つ増えたりする。
ほんの一瞬、時間にしたら1秒にも満たないようなそのわずかな変化にグッとくることがある。
そこの部分を何度も巻き戻して繰り返し聴く。
そして「ここ良いな」と思う。
これまでの自分の人生はそんな感じだった気がする。
音楽と仕事をがんばってやっていきたい。

 

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vol.65
2016.3.17 (thu)
洗面所の鏡の前で、顔のパーツを曲げたり、伸ばしたり、縮めたりして、色んな変な顔をする。
続けて真顔になってみる。変な顔と真顔を比べてみると、それほど変わらないことに気付く。
そして少し落ち込む。これを定期的に行うことで、何となく身の程をわきまえられるようになる気がする。
いま聴いている曲は笠井紀美子さんの「人はそれぞれ」。(2016.3.17 25:23)
明日はBuena Vista Social Clubのライヴを観に行く。
家の裏の家の写真。

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vol.64
2016.3.6 (sun)
最近家の近くで撮った写真。
この土日は誰にも会わず家で作業したり近所を自転車でうろついたりしていた。
ポカポカに晴れた日よりも、曇りなのに暖かい日の方が春を感じる。
夜窓を開けていると遠くを走る電車の音がたまに聴こえる。
さっきは突然雨が降ったり止んだりしていた。
今は2016年3月6日の28時4分。

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vol.63
2016.2.26 (fri)
しゃしくえのヴァイオリニスト兼ヴォーカリストの人の名前が改名されて「大福」になりました。
名前が変わっただけで中身は変わっていません、というか日々進化している方向だと思います。
というわけで今日は大福記念日です。

 

 

 

vol.62
2016.2.17 (wed) 
去年この日記に書こうと思いつつタイミングを逃していたネタ×2

 

▼ドラゴンボールの世界観について (2015.3.21 12:56)
最後に読んだのがかなり前なので詳しいことは忘れてしまったけれど……だだっ広い荒野にデカい岩があったりして、そこをジープ的なゴツい車が通っていく感じ。『ドラゴンボール』の序盤にはそういうアメリカ的な雰囲気が濃かった気がする。で、悟空に代表されるアジアとか中国の空気がそこにミックスされていく。
別の角度から。
地上に人間の世界があって、高い建物を登っていくと仙人がいて、さらにその上には神がいる。「高い次元に存在する世界」ではなく、「物理的に高いところ」に神がいる。また、1つの星を管轄する神に加え、宇宙空間の特定のエリア=複数の星を管轄する存在として界王と界王神がいる。それよりメタな支配者は出てこない。界王も神と同様、違う次元の世界ではなく、人間と同じ物理空間にいる。人間や宇宙人が、普通に神や界王を殺したりもする。例外として、作中における「あの世」は、地上とはちょっと違う次元の世界かもしれない。でもドラゴンボールもあるし、あの世とこの世はかなり自由に行き来できる。死んだ人と交信することも簡単。
地球とナメック星にはそれぞれのドラゴンボールがある。呼び出される龍の形や願い事のシステムに細かい違いがある。ナメック星のドラゴンボールの龍を見た悟空たちは「地球とは違うんだな」と言う。
1話目から最終回まで、だだっ広い感じ、音のない感じがずっとある。乾いている。余白が白い。神や界王の居る空間は余白が真空になっているように見える。

 

▼あざみ野の竹林のアーチェリー (2015.4.24 2:28)
5歳くらいまで横浜のあざみ野に住んでいた。親の車に乗せられて近所を走っている時、竹林があって、その中にアーチェリーの的が立っていたのをよく憶えている。そこの前は何度も通ったと思う。弓を引いている人もたびたび見かけた気がする。でも住んでいた町の地理は全く憶えていない。10年ほど前、久しぶりにその町を訪れたことがあるけど、どこが自分の家だったか全く分からなかった。

 

*上記のカッコ内の日付は、日記のネタにしようと思って携帯からPCにメモを送った時のもの。実際に文章化したのは今日です。

 

 

 

vol.61
2016.2.6 (sat) 
図書館の前によくいる、おとなしい犬。
このあいだ初めて飼い主の人に会ったので話しかけてみた。
犬は9歳で「てつお」という名前らしい。
飼い主の人は7歳ということだった。
図書館の前によくいるおとなしい犬は他にもう一匹いるんだけど、そっちの名前はまだ知らない。
どっちの犬にもそのうちまた近所で会うと思う。

tetsuo

 

 

 

 

 

 

てつお

 

 

 

vol.60
2016.2.1 (mon)
昨日は11時に杉並区を出て、足立区と板橋区へ行った。
そのあと18時すぎに杉並区に戻り、近所の商店街で髪を切って19時に家に帰った。
これまでにも足立区と板橋区へ行ったことはある(と思う)。
でもその2つの区の雰囲気をしっかり感じたのは昨日が初めてだった。
凄く良い感じの町だと思った。
下の2枚の写真は足立区で撮ったもの。
東京にはたくさんの町があるけれど、際立った名所や特徴がある場所はほんの少しだと思う。
でもどこの町にも少しずつ違う個性が必ずある。
“特に何もない町”の繊細な個性を、その町を知らない人に言葉で説明するのは難しい。
「特に何もない町だよ」と言っても、大体どこの町もそうだから説明にならない。
全ての“特に何もない町”は、言葉で形容しがたい町だと思う。
東京に限らずどこでもそうだと思うけれど。
*
もし初めて訪れる土地を歩いていて、
塀の曲がり方や土地の区画の形、
あるいは突然茶色い土が現れることなんかに
何とも言えない感じがしたら、
それがその土地の真の姿なのかもしれない。
全ての土地には必ず何かがある。

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vol.59
2016.1.21 (thu)
逆光の向こうに光源がある
ゲームのCMが多い

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vol.58
2016.1.10 (sun)
12年間飼っていたウサギが死んでもうすぐ2年経つ。
「また何らかの動物と一緒に暮らしたい」ということはずっと思っている気がする。
今日は近所のスーパーで小さいパグとハリネズミを触らせてもらった。
ハリネズミは思ったよりもチクチクした。
あとベルツノガエルもじっくり見てきた。全く動かなかった。
動物が身体を触らせてくれるのはありがたい。
死ぬと悲しいけど。

 

 

 

vol.57
2016.1.2 (sat)
霧が立ちこめる薄暗い渓谷の底を、水流に沿って歩いていく。
頭に浮かぶ物事はなく、冷えた霧を皮膚で味わいながら。
しばらくすると下流から誰かが歩いてくる。
まず「向こうから人が歩いてくる」ということがわかる。
少し近づくとその人物は自分と同性だと判る。
さらにもう少し近づくとどんな顔をしているかが判る。
やがて立ち止まり、お互いに顔を見つめる。
初めて見る顔。
魂の深いところで挨拶を交わす。
この世にある数字の中で、人間に最も関係が深いものは何だろう?
やあ、こんにちは。
しばらくして2人はまた歩き出す。
その誰かは上流へ。
自分は再び下流へ向かう。
どこからともなく霧に潮の匂いが混ざり始める。

 

 

 

 

vol.56
2015.12.30 (wed)
今年も1年間ありがとうございました。
しゃしくえに少しでも関心を持ってくださった皆さまに心から感謝いたします。
来年も地道に活動していけたら良いなと思っています。
現在ロシア滞在中の山本君が帰国したらまたマイペースにライヴなどやっていきたい。
いま作っている新しいアルバムもできれば来年中に形にしたいと思っています。
それから唐突ですが、昨年の春まで運営していた旧サイトを年明けに閉鎖する予定です。
あとあまり関係ありませんが、以下は今年ケータイで撮ったお気に入りの写真です。
そんな感じで、2016年もよろしくお願いします。
良い大晦日をお過ごしください。

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SCQ 2015 with utmost love.

 

 

 

 

vol.55
2015.12.10 (thu)
自分は1日平均30〜40分くらいテレビを観ていると思う。
観るのは自動録画しているお気に入りの番組か、その時やってるニュースやワイドショーみたいな番組が多い。
テレビを観ている時間はかなり何も考えていない。でも自分は一定の時間テレビを観ることで頭がスッキリする。
テレビが無ければ生きていけない、ということはないけど、自分の生活のリズムの中には一定時間テレビを観るというルーティンが組み込まれていると思う。単なる生活習慣というよりは、肉体と精神のバランスを整えるためのギミックとして。
それは単に自分が小さい頃からテレビを観て育ったからだと思う。今の小学生とかにとってはネットがそういう存在なのかもしれない。
テレビを観ることで落ち着く・頭がスッキリするのは、一言でいえば「大きくて抽象的な社会の流れ」を感じることができるからだと思う。すごくボンヤリとしているけれど確かにそこにある人間社会の潮流を感じ取って「みんな今こういう風に思ってるんだ、自分は取り残されていない」という一種の安心感を得ているような気がする。
一言でいえば、と書いたけれど、「テレビによって頭がスッキリする理由」を言葉にしようとする時、どうしても上手く表現できない部分がある。それを言い表そうとすると、今の自分が思いつく表現の中では「人が集まってる」という言い方が一番しっくりくるが、これもあまり適当ではない。これだと単に「テレビの中に人間社会を感じ取ることができる」というニュアンスに取られてしまうと思うけれど、言いたいのはそういうことではない。
今年発売された中崎タツヤさんのマンガ『じみへん』の最終巻には、この感覚が見事に表現されている(と個人的に感じた)話が収録されていた。

 

テレビを観て頭がスッキリするのは良いことでもあり悪いことでもある気がする。そしてそのどちらでもない、とも思う。

 

 

 

vol.54
2015.11.27 (fri)
今日の午前中、仕事をしていたら原因不明の停電が起きた。
すぐ復旧したし特に困ったことはなかった。
ほどよい停電は楽しいと思う。昔から好きだ。
さっき帰宅して夕飯を作っている時、朝の停電のことを思い出して「これからの人生で停電に遭遇することはあと100回ないかもしれないな」とふと思った。
でも何らかの原因で日本が深刻な電力不足に陥ったり、ひょんなことから自分が電力供給の安定していない国に移住したりする可能性だって十分あるから、この感傷的なアイディアはただの平和ボケかもしれない。平和ボケのまま一生終わっても、平和ボケが崩される時が来ても、どちらでも優しい気持ちで楽しみたい。

 

 

 

vol.53
2015.11.18 (wed)
地元のマックが閉店。
自分が物心ついた頃には既にあったような気がするので、20年以上営業しているものだと勝手に思っていたが実際は17年だったらしい。そんなに頻繁に行っていたわけではなく、これといって思い出はないが何となく寂しい。
最終日の夜中、意味もなく閉店後の様子を観に行ってみたら奇跡的な写真が撮れた。
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ドナルドが背を向けて「See you」って言ってる左側の看板と、閉店作業をしてる店員のポーズが同じ。

 

地元の商店街は頻繁に店が入れ替わる。
2つ前、3つ前にその場所に何の店があったか、思い出せないことがよくある。
思い出そうとするのはけっこう楽しい。

 

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しゃしくえは今日で9年目に突入した。 今後も地道に活動していきたい。
やまもん&ゆっちゃんが入ってからは4年半なので、ここから先はこの2人と一緒に演奏してきた歴史が、しゃしくえ全体の歴史の半分を超えていく。いつまで続くのかは誰にも分からないけれど。
10周年はやっぱり何かしたい気がなんとなくする……今のところ特に何も思いつかないけど。

 

 

 

vol.52
2015.11.13 (fri)
自分の部屋には10年以上前から小さなハエトリグモが住んでいる。
ハエトリグモの寿命は1年ほどらしい。多分もう10代以上にわたって脈々と命が受け継がれてるんだと思う。
そしてなぜか今いるヤツは自己主張がめちゃくちゃ強い。
なにかと目立つ場所をこれ見よがしにウロついてるし、昨日の夜なんて僕がパソコンをやっていたら、天井から糸を引いて降りてきてキーボードの上に堂々と着地した。

 

 

 

vol.51
2015.11.6 (fri)
英語圏の男性の名前では「セオドア」が一番カッコイイのではないか、とたまに思う

 

 

vol.50
2015.10.26 (mon)
先週の木曜、休みだったので自転車で近所をウロついていたら、カバン持ちをやってる小学生の集団と、手を繋ぎながら下校してる中2ぐらいの男の子&女の子と、巨大マンションの敷地に据えられたデカい岩(石碑?)の上に立ってる小学生の集団を見た。
これだから平日休みはやめられないと思った。
新しいアルバムの制作を3月から少しずつ進めていて、いまダビングのアレンジを考えているところなんだけど、なかなか上手く思い付かないところがいくつかある。でもファーストを作っていた時のような得体の知れない焦りは特になく、今のところ楽しくやれている。この調子で行きたい。自分の音楽は地味だと思う。

 

 

vol.49
2015.10.15 (thu) 
1年くらい前、何となく思い立って今までに聴いたアルバムからベスト20を選んでみた。(このページの1番下)
今年はさらに何の脈絡もなく、今までに読んだマンガベスト20を選んでみました。
去年アルバムを選んだ時、適当に列挙していったら21枚になり、1分くらい考えたもののどうしても1枚も落とすことができず、めんどくさくなってベスト21にしました。そして今年はさらに杜撰な事態に陥り、ベスト23作になりました。
数字=順位という意味ではありません。ただの番号です。でも1番は1位かもしれない。
あくまでも思いつくままに挙げてみた、という感じでそんなに厳密には考えていません。深く考えて書き始めたらここにはとても収まらないので。
あとそれぞれの作品名を単行本名とかで統一したかったのですが、「短編集」とかもランクインしているためその辺を上手く揃える方法が思い浮かばず、テキトーになっています。

 

1.『I』いがらしみきお
2.『Sink』いがらしみきお
3.『じみへん』中崎タツヤ
4.『SF短編集』藤子・F・不二雄
5.『ドラえもん』藤子・F・不二雄
6.『浦安鉄筋家族』浜岡賢次
7.『幽遊白書』冨樫義博
8.『あたしンち』けらえいこ
9.『わたしは真悟』楳図かずお
10.『散歩しながらうたう唄』森雅之
11.『私は何も考えない』蛭子能収
12.『AKIRA』大友克洋
13.『ブラックユーモア短編集』藤子不二雄A
14.『うずまき』伊藤潤二
15.『テレビばかり見てると馬鹿になる』山本直樹
16.『七夕の国』岩明均
17.『中学生日記』Q.B.B.
18.『ナンバーファイブ』松本大洋
19.『GANTZ』奥浩哉
20.『狂四郎2030』徳弘正也
21.『ピューと吹く!ジャガー』うすた京介
22.『SLAM DUNK』井上雄彦
23.『ONE PIECE』尾田栄一郎 

 

けっこう単純に世代が出ているような気がする。
いま一番欲しいマンガは『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』全巻。
音楽に関してはメジャーなものに限らず、インディーズ&アンダーグラウンド的なもの、自主制作のものにもこれまでたくさん触れてきたけど、マンガはその辺をあまり知らない。もうちょっとよく知りたいなと思って最近はたまにpixivを徘徊したりしている(今更だけど)。
来年は文学ベスト20かギターソロベスト20。
ギターソロはYouTubeのリンクを貼るのが大変そうだから文学かも。

 

 

 

vol.48
2015.9.30 (wed)
先週の土曜日に京都でライヴをしてきました。
ツアー日記を書いたら何となくダラダラ長くなってしまったのですが、そのまま載せてみます。
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前日の晩、金曜の深夜バスで3人揃って移動。
予算があまりないので安いバス。安いのでシートが狭い。
寝苦しくて自分は殆ど眠れなかったが、あとの2人は乗ってすぐに爆睡していた。
6時前に十条のあたりに着いて、京都駅まで20分くらいかけて歩く。
殆ど寝てない&重い楽器を背負ってるので肉体的にはキツいのだけど、ちょっと歩くだけで町並みから京都感が伝わって来るし、遠征のワクワク感もあって嫌な気分ではない。
京都駅で楽器などをロッカーに預けてマックで1時間ちょい早朝の暇をつぶす。
8時になったのでバスで京大前の進々堂へ。自分は10年ぶりくらいに来た。2人は初めて来たらしいけどとても気に入った様子だったので良かった。
朝マックをちょっと前に食べたばかりで全く腹は減ってないけど、せっかくなのでカレーセットを食べた。
その後やまもんはPCでやらなきゃいけない作業があるってことで進々堂に残留。
自分とゆっちゃんはリハーサルの時間まで2人で軽く観光。
お互いに特別行きたい場所があるわけではなかったので、とりあえず近くの銀閣寺へ。その後ゆっちゃんが大原には行ったことないというので、1時間半くらいバスを乗り継いで大原。麓の蕎麦屋で蕎麦を食べて三千院を観て回った。宝泉院とか音無の滝にも連れて行きたかったけど時間が足りず断念。ゆっちゃんは水琴窟に行きたがっていた。
自分は大原に行ったの多分4回目。大原まで行って三千院だけ観て帰ってくるというのは勿体ない話だけど、ゆっくり移動している間にけっこう睡眠をとれたのは良かったと思う。あと移動中はゆっちゃんと色んな他愛ない話をしてそれも楽しかった。
また1時間半かけて京都駅へ。やまもんと合流してライヴ会場のアバンギルドへ向かう。
初めて行ったけど天井が広くてゆったりしていて凄く良いお店だった。
しかしリハのサウンドチェックに少し苦戦。アップライトピアノの音が高域に寄った=低中域が削られた独特な感じで調整に手間どる。あと天井が高い割に全体的にデッド(音の反響が少ない)な鳴りだった気もする。でもPAの方が手を尽くしてくれて何とかギリギリで良い雰囲気に持っていけた。PAの方は「お客さんが入ると良い感じになるから大丈夫」とも言っていた。
そして1時間くらい休んで本番。PAの方がさっき言った通り、お客さんが入るとなぜか音の鳴りが俄然良くなっている。演奏の具合もそれなりに好調だったと思う。割と淡々と9曲やって終わり。
ピアノの音色はリハとあまり変わらなかったけど、演奏してる途中で、この鳴り方は古いジャズのレコードにおける音圧低めのピアノの音に似ている、ということに気付いた。曲によってはこの音の感じが合っていて良かったと思う。
出番が終わった後は競演の本日休演&入江陽さんのライヴを観つつ、京都に住んでいる友達が5人ほど来てくれたので色々話したりとか。久しぶりに会えたので嬉しい。東京でライヴをする時より多くの友達が来てくれたのが面白かった。
22時すぎに全てのライヴが終わって23時頃までまったり過ごす。観に来てくれた友達や競演者の人たちと喋ったり。
そうこうしてるとあっという間に時間が来たのでバス停まで向かい、再び3人揃って24時前のバスに乗って帰路につく。
2人はまた乗ってすぐに熟睡。そして自分はまたもや眠れなかったけど、流石に疲れていたのか、ちょっと時間が経つと気付いたら寝てた。で、ちょっと寝たらまた目が覚めて、の繰り返し。
サービスエリアでの休憩が2回。停車して車内の灯りが点いても2人は相変わらず気持ち良さそうに寝てる。自分は車が減速すると必ず目が覚めてしまうし、夜中のサービスエリアが好きなので2回とも降りて辺りをうろつく。
行きも同じように休憩があって同じようにトイレに行ったり飲み物を買ったりうろついたりして過ごしたのだけど、帰りの方が何となく切ない。夜霧と朝露に車と高速道路が混ざった匂いを、行きよりも濃く感じる。
ライヴを観に来てくれた京都の友達が夜中にラインをくれて「5年前に観た時よりずっと良くなってた」と言ってくれる。何よりも嬉しい。言うまでもなく。
次の休憩まで2時間くらいウトウトして、それを何回か繰り返して東京に近づく。
車内を真っ暗にしている遮光カーテンの隙間から窓の外がたまにチラッと見える。そこには早朝の都会の青っぽい空気がある。

 

自分はまだ若くて、こうやって無茶な日帰り遠征ライヴとかをしても、多分このあと家に帰って3時間くらい寝れば普通に動ける。日曜は図書館に行ったり部屋の掃除をしたりすると思う。月曜からはまた普通に仕事。しばらくライヴは無いのでレコーディングを進めたいと思っている。遠征ライヴは楽しいけど、売れないバンドなのでたまにしか出来ない。次はいつツアーできるかな。もしかしたらこれが最後ってことになる可能性も無くはない。みんな少しずつ忙しくなっていくから。まだまだ若いけどあっという間に年を取る気もする。こうやって3人でバスに乗って京都に行ったことは一生忘れないと思う。
窓の外の景色がチラッと見えた瞬間にそういうことを思った。
昨年末に名古屋にライヴしに行った時は、早朝に東京を出発して車で向かった。
その日の朝、目が覚めて部屋のブラインドの隙間から外の青い光を見た瞬間にも同じようなことを思った。
自分はまだ若い……と。

 

 

東京の前に横浜で1回バスが停まって半分くらいの乗客が降りるんだけど、そこでゆっちゃんが起きて「横浜かよ」と言う。少ししたらやまもんも起きた。

 

そんな感じで楽しい京都ツアーでした。
あんまり雰囲気伝わらないけど、明け方の海老名で撮った写真。

150927

 

 

 

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