6
vol.99
2018.12.31 [mon]
先日、下北沢のleteにsakanaのライヴを聴きに行った。
leteにもsakanaのライヴにもよく行くので、いつも通り「演奏すげ〜」って感じでボケーっと聴き入っていたら、アンコールで突然ポコペンさんが「田中くん!」と呼んで招き入れてくれて、最後の1曲でギターを弾かせてくれた。
曲は大名曲の「Miss Mahogany Brown」。
https://www.youtube.com/watch?v=ejH22VUw7Ew
sakanaの曲の中ではコードはそんなに複雑ではないし、何度も聴いてきた曲なのでキーに合わせて何となく弾けはしたけど、あまり機転が利かず「ザ・しょぼい手癖」みたいな平べったい演奏になってしまって悔いが残った。原曲はスライドギターのソロが入っているので、その辺にある瓶とかを使って弾いたら面白かったかな、などと終わった後で思ったけど、そういうことはその場で思いつかなければ意味がない。
「飛び入り参加」というもの自体あまりした記憶がないのだけど、やっぱりこういう時にも臨機応変に演奏できるようにもっと練習しなければいけないと思った。でも、校長先生と担任の先生に同時に呼び出されたような気分だったけど、とても貴重な経験をさせてもらいました。ポコペンさんのギターを触らせてもらうのは多分2度目だったのだけど、触るたびに楽器と奏者の繋がり、そこから生まれるグルーヴを強く感じる。
それはそうと、この日のsakanaのライヴは色んなポイントがとても新鮮で、面白かった。
特に1曲目と2曲目。曲自体は聴き慣れているものだったけど、楽器の音数が極端に抜かれたアレンジで、ポコペンさんのバッキングギターの音量がすごく小さかった。音が小さいというか、「鳴っている」というよりも「気配がある」というような印象。あまりハッキリとは聴き取れないんだけど、でも西脇さんのギターとは違う動きをしていて、立体的なアンサンブルになっていることがギリギリわかる音量。そんな演奏の骨格の上で歌とリードギターだけがくっきりと前に出ていて、何とも言えない浮遊感があった。上手く伝わるかわからないけど、ジェームス・ブレイクみたいな感じがした。それをleteというほぼ生音のみのシビアな環境で自在に聴かせていて、「演奏すげ〜」と思ったのだった。
最近は人の演奏を聴いているときに、音量の操作の上手さを感じたときにグッとくることが多い。巧みな奏者であれば当たり前に身に付いていることなのかもしれないが、最近になって自分がそこに気付けるようになったということか。でも時代的にも、派手なエフェクトサウンドや奇抜な声色の刺激は飽和している気がするし、来年はいよいよ一周回って音量操作がトレンドとして来るのではないだろうか? などとも少し考えたけどまあそれは良いや。
今年は制作に力を注いだ1年だったので、来年は演奏をがんばっていきたい。
ライヴのオファーなど、ぜひお待ちしております。

 

*
一昨日しゃしくえの忘年会をやった。最後の方で「芸術は男性的なものか?女性的なものか?」という、非常に飲み会っぽい話題になった。もちろん確かな答えがある問いではないのだが、ダラダラしゃべって楽しかった。
その帰り道、なぜ自分がsakanaの2人のことを尊敬しているのだろうかということを考えた。1つには、性別とか世代とか、あるいは何らかの社会的な属性であるとか、そういったものとは違う「個」として立っているような雰囲気を感じるからかもしれないな、などと思った。

 

*
いまテレビでユーミンが歌っていた。素晴らしい楽曲と歌と演奏、鈴木茂のギター。

 

*
自分が生まれ、人間としての土台を育んでもらった平成という時代がもうすぐ終わる。
流行や時代をどうでも良いと思っているわけではないが、「平成最後の」という枕詞を自分はなぜか一度も使いたいと思わなかった。
ここからの50年で行うことが自分の仕事だ。
それが動くものであっても、あるいは静かなものであっても。

 

 

 

 

 

 

 

vol.98
2018.11.28 [wed]

 

15:35
奇声について
いよいよミキシング作業も大詰めというか、仕上げのような段階に来たと思う。
それに伴い、1〜2ヶ月前からスタジオ(家)で一人で作業しているときに奇声を発することが多くなった。
そんなに大きな声ではないのだが、知らずしらずのうちに、動物の鳴き真似のような声を出したり、意味不明な言葉を叫んだりしている。このあいだはふと気付くと「モグモグさせておくれよ〜!」と言っていた。そのとき特に空腹だったわけではない。
「知らずしらず」と書いたが、これは若干 “盛って” いる。全くの無意識状態からそういう声が出ているわけではなく、出す直前に「よし、奇声出しちゃうぞ」みたいな意識が一瞬入っている。でも声の調子や言葉の内容にはけっこう即興的・無意識的に決まっている部分もあって、叫んだ後で「なんでこんな変なこと言ったんだろう?」と少なからず思う。
9月に2週間ほどこもって作業をしていた時期があったのだが、その頃から奇声の量が増えていった。なにか精神的に思い詰めていたりするわけではないのだが、一人きりの無言の作業のストレスが溜まって、人とのコミュニケーションを求めているようなところがあった気がする。それが「発声」と「ふざける」という行為になって表れたのだと思う。
子どもの頃から、街角や電車の中で独り言や奇声を発している人たちを見て、どういう出来事があったら、声を出すようになるのだろう?と不思議に思っていた。自分がはっきりと見分けられるわけではないのだが、先天的にそういった行動をとることが多い人たちではなく、後天的に、人生におけるなんらかの出来事から受けた精神的影響によってそういう行動をとるようになった人たちについてだ。
そういう人たちのことを面白おかしく捉えていたわけではなく(少なくとも自分自身としてはそう思っている)、ただ単に、なぜ声を出すようになるのだろう?ということが不思議だった。
今回自分で変な言葉を発するようになって、その理由が少しだけ分かったような気がした。そして別にそんなに複雑な話ではない気もした。そういえば自分は小学校4〜5年生の頃、あまり落ち着きがなく、通知表に「授業中に奇声を発するのはやめましょう」と書かれたこともあった。
この日記ページ、1月に今年は月1回更新すると決めて、なんとか達成できそうだ。次で通算99回目の更新である。と言ってもほぼ読んでいる人はいないと思うし、この日記もいわば奇声のようなものだといえる。もし読んでいる人がいたら焼肉をおごるのでメールください。
近所のラーメン屋に古谷実の『ヒメアノ〜ル』全6巻が置いてあって、6回通って読破した。9月のミキシング引き籠り期間に息抜きとしてランチを食べに行ったのが最初だった。ラーメン4杯、つけめん1杯、まぜまぜ麺1杯を食べた。ラーメンは美味しく、店の雰囲気は良く、『ヒメアノ〜ル』は素晴らしい作品だった。読破して、ミキシングももうすぐ終わるけど、また店には行くと思う。

 

自分はミキシングをよく頑張ったと思う。誰かに褒められたい気持ちが少しだけある。
作品は奇声だろうか? 自分は今回、奇声ではないものを作りたかった。ような気もするけれど。

 

16:20

 

 

vol.97
2018.10.9 [tue]
自分の名前は「田中耕太郎」。これは父と母2人ともが気に入ってつけた名前。確かそういう話だったと思う。
主な由来は、
「耕す」という漢字 / 言葉が良いと思った。父方の祖父母は畑をやっているし。
「タナカ・コウタロウ」という音の響きが良いと思った。
という感じだったと思う。
漢字と言葉に関しては自分も同意。「耕す」は意味も字の形も良いと思う。響きについてはいまいちピンときていない。カコカコしている感じが小気味良いということだろうか? なんとなく分かる気もするが、特別良いとも感じない。聴き慣れすぎているからか? ただ、たまに人から「“タナカコウタロウ”って響き良いよね」と言われることがあるので、何かしら良いのかもな、とは経験的に思う。
そういえばこのあいだ高校時代の親友と飲みに行ったとき、「仕事の知り合いとか大学の友だちと話してて、高校の話題になったときに『仲良かった友だちの名前はタナカコウタロウ』って言うと、みんな笑うんだよね」と言われた。「田中」という名前があまりにありふれているから笑うのだろうか? 笑いというか感覚のハードルが低すぎて逆に驚いた(特にムカついたりはしない)。しかしその親友自身はこれまでの人生で「田中」という名前の人には僕以外に会ったことがないと言っていて、二重に驚いた。だから彼自身には「田中」という名前がありふれたものであるという感覚はないらしい。それで「“タナカ”っていう音の響きが面白いからみんな笑うんじゃないかな?」と彼は言っていた。この件の真相は不明だが、また少し違う話なので割愛。
自分の「田中耕太郎」という名前にはもう一つの由来がある。それは20世紀の有名な法学者「田中耕太郎」と同じ名前にした、というものだ。この人は最高裁判所の長官になったり、第1次吉田茂内閣のもとで文部大臣として日本国憲法にサインしていたりするいわば“歴史上の人物”。僕の世代ではそれほど認知度は高くないが、父や母の世代ではそれなりに知られているらしい。日本の歴史と直接関わる色んなエピソードもあったりして、戦後の日本をつくった優れた人物の1人、みたいなイメージだと思う。僕の父は大学のとき法学部だったから、憧れみたいなものもあったのかもしれない。父は少しミーハー気味な人だし。母はそういう権力というかブランドというか、そういうものにあまり興味がない人なので「有名な法学者にちなんだ名前を息子につけた」つもりはないらしいのだが、本当に興味がないゆえに、父がそういうつもりでも別に構わないんだと思う。でも最初に書いたような別の由来において、母も「耕太郎」という名前が気に入っている。だから「耕太郎」という名前は父と母2人ともが気に入ってつけたが、厳密にいうと2人が意識している由来は少し異なっている。
で、ここからが今回一番書きたかったことで、尚かつ最近(ここ半年くらい?)気づいたことなのだが、僕はこの法学者の「田中耕太郎」に、全くと言っていいほど興味がない。というか、たまに「自分の名前の由来になった人物についてもっと知っておくか」みたいな気分になってネットで検索したりするのだが、田中耕太郎のウィキペディアを2分くらい読んだら飽きてきてどうでも良くなってくる。何年か前に調べたとき、田中耕太郎が働いた歴史上の悪事(?)が明るみに出てきた、みたいなニュースが出てきたのだが、それもどうでも良かった。詳細もあまり読んでいない。「まあそれくらい歴史に深く名を刻んでる人だったら良いことばっかりしてきたわけじゃないだろうし、後々それが明るみに出ることもあるかもしれないし、著名人の名前を子どもにつけるのってリスクあるよね」と思った程度。
好きな音楽家とか画家とか小説家について、僕はけっこうオタク気質にいろいろ調べたりする方だと思う。自分の音楽や文章に触れた人がどんな感想を持ったかということも気になるので、ときどきエゴサーチしたりもする(基本的にどんなことを言われても嬉しい)。自分を取り巻く色んな情報に対する関心が強い方だと思う。にも関わらず、ある意味では「自分」という存在の根源に関わっているともいえる「田中耕太郎」という法学者には全然興味が湧いてこない。そのことを最近初めて自覚し、自分でも不思議に思っていた。もともと法律にあまり興味はないが、日本史は大好きだし、何でだろう?と思う。1つの仮定として、僕は自分を取り巻く色んなものには興味があるけど、自分自身には興味がないということなのではないか?と思った。「自分がどんな風に思われているか」ということが気になるけど、それは実は自分自身に興味があるのではなく、周囲の人に対して興味があるのだ、というような理屈だ。去年車に跳ねられて左肘の骨が粉々になった時も、「ギター弾けなくなったら電子音楽に転向するしかないかな〜参ったな〜」とは思ったが、自分の身体に対する執着心のようなものはあまり湧かず、かなり痛かったけど感情的にはそれほど辛くなかった。・・・でもこの仮定もあまりしっくりはきていない。なぜ自分は田中耕太郎にこんなに興味がないのか。自分自身の感覚について疑問に思う、ということが僕はあまりないので、些細なことだけど引っかかっている。
50歳くらいになると自分の先祖のことが気になって調べたりし始める、みたいな話もたまに聞くので、それくらいの歳になると“目覚める”のかな?と思ったりもするが、今はまだ田中耕太郎がどうでも良い。ちなみに「先祖」については現時点でもかなり関心があって、いつかちゃんと調べたいと思っている。が、それに関しては多分、自分が本当に知りたい、というか納得できる情報にまでは辿り着けないだろうなと思う。
ところで音楽をやったり文章を書いたりする上で、「田中耕太郎」という名前は不利だと思う。ネット検索でも業績でも知名度でも、元ネタの田中耕太郎には100%勝てないし、今生きている人でも同姓同名が凄く多い。自分と同じ元ネタなのかは知らないが、やけに政治家とかに多いのできっとそうなんじゃないかと思う。政治家に多い名前、っていうのもあまり好きではない。あとやはり「田中耕太郎」にはパンチがない。ごく近所を見渡してみても、音楽をやったり絵を描いたりする人には、なぜかなんとなくそれっぽい名前がついている。少なくとも自分よりは。「田中耕太郎」という名前からはあまり何かをやりそうな気配が出ていない。
などという理由で、昔から「田中耕太郎」という名前にはあまりピンときていなかったのだが、実は最近になって少し気に入ってきた。音楽をやったり絵を描いたりする人の多くがそれっぽい名前を持っているとしたら、「それっぽい」ことは逆にありふれたことで、「田中耕太郎」というありふれたパンチ不足ネームは逆に珍しいのではないか、と思ったのが1つ。あと「名前をつけるのが苦手」なのは、自分自身のアイデンティティでもあると思い至った。「名づけ」とはいわば大喜利みたいなもので、短い中に色んな要素を詰め込んでフレッシュに仕上げる瞬発力みたいなものが求められると思うのだが、これまで自分が作ってきたものを見返してみても、どうにも自分にはその才能が欠けている。今まさに書いているこの文章もそうだ。しかし「名づけ」以外に得意な領域はある。自分の苦手分野の象徴ともいえるパンチのない名前は、逆説的に自分の得意分野や才能といったポジティヴなアイデンティティをも示している、という捉え方だ。
そんなこんなで、最近は何周か回って「田中耕太郎」という名前に新しい可能性を見出すようになってきた。小学校の頃「太郎」は何となく野暮ったくてダサい気がしていたのだが、最近はちょっと面白い言葉だと思う。3年ほど前、仕事の昼休み中に一瞬、急に何かの啓示を受けたように「田中って名字はもしかしたらめちゃくちゃカッコイイのでは? シンメトリーだし」と強く思ったことがあったが、これは8秒後くらいに勘違いだったな、と思った。なぜそういう啓示を受信したのかは覚えていない。
超有名な元ネタがいるがゆえに「田中耕太郎」という名前は逆に匿名性が高く、数も多いために現代の日本においてあまり独自性を持っていないと思う。自分の名前であると同時に他人の名前でもあるような違和感もある。そこを活かしていきたいと、今は思っている。そういえば「しゃしくえ」も「キラリティ」も人からもらった名前だし。次のアルバムの名前はけっこう前から決まっていて、迷いもなかったのだが、つい最近になってその名前を少し操作することで「人からもらった名前」に近づけられることに気づき、ちょっと悩んでいる。
「たかが名前だけでグダグダ言って」と思われるかもしれない。自分でもそう思うし、この文章を読んだ人から「名前というものをすごく気にしている人」だと思われるかもしれないが、実際はそれほど気にしていない。時おりボンヤリと頭に浮かんでくることをまとめて書いてみただけだ。自分に関しても他人に関しても、名前なんか基本的に何でも良いと思っている。古臭い名前でもキラキラネームでも。
ただそれと同時に、この世の90%くらいのことは「名前」が決めているのではないか、と感じることがたまにある。姓名判断や、まして電通とかのコピーライティング的な話では、もちろんなく。

 

あと、自分は父と母のことが好きだし、田中耕太郎という名前をつけてくれたことに感謝している。
そしてそもそも「名前をつけてくれた」ことにも。

 

 

 

vol.96
2018.9.13 [thu]
現在27:40。ミックスをあともう1テイク作ってから寝ようと思う。
今日で夏休み8日目。ずっとミックス作業に費やして来た。
ここ2日くらいスランプ気味で辛かったが、やはり長期休みだと集中できて捗る。
なんとか今週中にケリをつけたいが。
さっきシャワーを浴びてバスタオルをベランダに干していたら、雨後の良い匂いがした。
むかし父の実家(長野)の近くで嗅いだ山の匂いに、少しだけ似ている気がした。
東京にも長野みたいな匂いの場所があるのなら捨てたもんじゃないと思った(?)。
ベランダで雨の匂いを嗅ぎながらゼリーのジュースを飲んだ。
このジュースは近くのドンキホーテで69円で売っているもので、凄く美味い。
この1〜2ヶ月で20本以上飲んでいると思う。
自分はいま長い瞬きのような季節を過ごしているんだと思う。
写真はベランダからの景色。
27:48

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vol.95
2018.8.27 [mon]
現在27:30。ミックス作業をしていたがそろそろ寝ようと思う。
19:30頃に図書館とスーパーに出かけた帰り道、雷の光と音がどんどん大きくなってきたので急いで自転車を漕いで帰ってきた。
その途中、物凄く大きい雷が鳴った。空を観ながら自転車を漕いでいたのだけど、視界の中の空が一瞬全面真っ白になって、さらにその一瞬の中の一刹那、はっきりと稲妻が観えた。そしてその時、真っ赤な色が目に焼き付いたような気がした。
その色が雷本体が伴う色なのか、雷の光が自分の眼の中に引き起こした作用なのかはよく分からなかった。でも今までに見たことのない色だと思った。そもそもそうやって屋外で頭上の空の雷光を目にしたこと自体が初めてだったかもしれない。小型犬の舌のような赤い色だったと思う。
家の近くの坂を登っていると、自転車の荷台に小さい女の子を乗せたお母さんが目の前を走っていた。雷の音が何度も大きく響き、母と娘は「怖い怖い」と言いながら帰り道を急いでいた。幸せな光景だと思いながら2人を追い抜いて坂道を登った。家に着いて急いで洗濯物を取り込むと、少しして土砂降りになった。今日は運良く少しも濡れなかったが、運悪く濡れることもよくある。雷の光と音が響き渡る中でシャワーを浴びた。雷の光と音の中でシャワーを浴びたのも初めてだと思う。楽しかった。シャワーを浴びているあいだ、雷と雨の音を20分くらい録音しておいた。
23:48

 

 

 

vol.94
2018.7.17 [tue]
今さらですが、6/26に約2年ぶりのしゃしくえのライヴを行いました。
会場は阿佐ヶ谷のharness。坂口沙子さんと西脇一弘さん(SAKANA)によるユニット「裏庭」にお呼びいただいたツーマンイベントでした。
今回は大福が不在だったので、僕(田中)と山本君の2人に、ゲストとしてフルート奏者・松村拓海さんを迎えたトリオ編成。アンコール含め全11曲を演奏しました。拓海さんと僕はバンド「俺はこんなもんじゃない」でも日常的に一緒に演奏しているのですが、しゃしくえのライヴに参加してもらうのはおよそ3年半ぶり。数回リハをして本番に臨みましたが、最高の演奏でサポートをしていただきました。拓海さんがいなければ死んでいたと思います。
競演した「裏庭」のお2人の演奏も素晴らしかったです。裏庭のライヴを観るのは2回目だったのですが、前に観たときよりも2人のアンサンブルが密になっていて、曲はどれも静かなのですが、微妙なグルーヴの違いが立体的に聴こえてくるような気がしました。僕は13歳の頃から西脇さんの演奏を聴いているので “西脇フリーク” といっても過言ではないと思うのですが、SAKANAの時とはまた違ったアプローチというか、別の角度からの「攻め」や「遊び」の気配を西脇さんのプレイから感じ取れるような気がして、そこにもグッときました。
坂口さんは僕と同い年(学年は坂口さんの方が1つ上)なのですが、同世代の日本のシンガーソングライターではかなり傑出した人なのではないかと思います(上手い形容詞が思いつかず、なんだか大げさな言い方になってしまいましたが……)。声と歌の透明さと真っ直ぐさ、それと詩の独自性。一見平穏で変哲のない世界のようで、メロディと言葉が絡まって大きな景色に広がりつつ、少しずつずれていくような感覚がとても面白いです。これからどんどん進化・変化もしていくだろうと思うので、自分も負けないように同世代のライバルとして意識しながらがんばっていきたいと密かに思っています。
*
10年くらい東京の隅っこで音楽活動をしてきて、これまであまり同世代で共感できるアーティストに出会えたことがなかったのですが、ここ数年で少しずつ、自分と似た感覚の人たちと知り合えてきているような気がしています。相手も僕について同じようなことを思っていてくれれば嬉しいのですが……まあそれはどうか分かりませんが、そういった環境の変化というか自分の微妙な心境の変化みたいなものもあって、今という時代を生きる中でどんな風に音楽をやっていくべきかということを最近少しずつ考えるようになってきました。と言っても多分やることは基本的に変わらないのですが。
ただしゃしくえに関して言うと、大福は家業の遠洋漁業が相変わらず忙しかったり、山本君は真のロシア人になるために来年から3年くらいロシアに行ってしまうとのこと(毎年夏には戻ってくるとかこないとか?)。そんなわけで今後パブリックな演奏の機会はこれまでにもまして減ってしまうかもしれないので、できるうちにできることをやっておきたいなと思っています。何か良い演奏の機会があれば、ぜひお誘いいただけると嬉しいです。というかその前にアルバム完成させなきゃいけないんですが。
*
久々にライヴの感想など書いたらなんだかあまり上手くまとめられませんでした。
SoundCloudに、ライヴ音源の一部を載せてみました。この日のライヴでは通常ヴォーカル有りでやっている曲をインストアレンジにしてみたり、ゲストが拓海さんという点も活かしてインスト曲や即興の割合を高くしてみました。あと山本君が最近40万円くらいするシンセサイザーを購入してしまい、このライヴで初使用していました。この楽器の可能性も今後の演奏で追及していきたいです。音源は、この日初披露した新曲2つから即興パート部分を抜き出して繋げたものです。

 

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西脇さんは最近、写真にうつる時によく変顔をしている気がするのですが、何か意味があるのでしょうか?
でもどれもとても良い顔なんですよね。

 

 

 

vol.93
2018.7.3 [tue]

 

現在25:26。
先月末、ライヴが4つ重なっていて、1つは2年ぶりのしゃしくえだったこともあって6月はそれらの演奏の準備にほぼ費やしていた。
そしてライヴが無事に終わり、一昨日から1ヶ月ぶりにミックス作業に戻ったのだが、一言でいうと辛すぎる。
逃げ出して、何も考えず友だちと飲みに行ったり映画を観に行ったりしたい。
でもがんばってちゃんと作り上げないといけない。
いつか誰かが訪れた時のために、あるいは戻ってきた時のために。
自分は、いまこの瞬間を記録しておきたくて・留めておきたいから録音をしているわけではない。
でも録音を残すということは、それ以外の何かを残すということだと思う。
などということを6年前の録音作品をいま聴き返していて思った。
なぜ聴き返していたかというと、もちろんミックス作業から逃げるためである。

 

 

 

vol.92
2018.6.18 [mon]

 

「私もその話は知っています」
「本当に? どうなるんでしたっけ、最後」
「あなたはこの話の一番大事なところを忘れている」
「え、なんだっけ・・・」
「この話の本当の怖さはそういうことじゃないんです」

 

小学生のとき映画館で観たある映画の冒頭、とても好きなシーン。
なんの作品かわかった人とは仲良くなれるかもしれない。

 

 

 

vol.91
2018.5.24 [thu]

 

25時47分
さっきカルフォルニア産の砂糖まみれのアーモンドを20粒くらい食べたら今すごい元気が出てきている。
友人と少し飲んだだけなのにやたら疲れて22時頃帰宅し、ついさっきまで何もやる気が出なかったのに…
そういえば豆を食べたらパワーが漲って「これは仙豆だ」と思ったことがこれまでの人生で何度かあった。
これからはミキシングなどに集中したい時のためにキッチンに豆を常備するのも良いかもしれない。
父が実家でよくアーモンドやピーナッツをボリボリ食べていたが、その理由が少し分かったような気もする。
豆によって自分の加齢を感じる日が来るとは思わなかった。
25時54分
26時01分 校正完了

 

 

 

vol.90
2018.5.8 [tue]

 

6年ほど前から「俺はこんなもんじゃない(OWKMJ)」というバンドにギターで参加していて、月に平均1〜2回くらいライヴをしている。
よくライヴで演奏するレパートリーの中に「庭」という曲があって、自分はこの曲がとても好きだ。自分の演奏の見せ場が多い、という単純な理由もあるのだが、それ以前に曲自体が好きなのである。曲の構造というか、曲想というか。
4〜5年前、この曲の作者でありOWKMJのリーダーでもある狩生さんと話していた時、彼はこの曲について「東洋的な庭と、西洋的な庭の両方を表現しようとした」というようなことを言っていたと思う。(もちろん、これが全てというわけではないと思うけれど。)
この目標は十分に達成されていると思う。東洋的な旋律と西洋的な和声、みたいな要素は言うまでもないくらい端的に示されているし、たとえばミニマルなフレーズの反復が壮大な眺望へと展開していく様子には、日本の箱庭的な世界観と、欧米建築特有の堅牢な構造美の両方をみることもできるだろう。
ただ自分が好きなのはもう少し違う点というか、もう少し形而上的な点にあると思っている。「庭」とは人工的な空間でありながら自然界にも包摂された領域であり、というような庭園論みたいな話をたまに耳に挟むが、それに近いことかもしれない。人工的な支配とそれを超越していく繁茂、抵抗と強制・共生、外界と内界の分水界。
自分の手で作ったはずのものがいつのまにか勝手に大きく育ち、新しい世界を形成していく。悲観ではないけれど、一種の諦念のようなものを持ってその光景を静かに観ているような感覚。そういった曲想を、自分は「庭」という曲に対して見出している。「深い曲だ」みたいなことを思う。
(さっき「もう少し形而上的」、と書いたけれど、これはあくまで便宜上の表現である。「あるフレーズが東洋的に聞こえる」という現象だって、一見シンプルだけれど、突き詰めればいくらでも形而上的な領域に繋がっていくものだ。)

 

話は少し逸れるけれど、OWKMJは現在基本的に9人で演奏をしていて、各人がそれぞれ違うリズムやフレーズを刻む、というようなことが多い。現代の音楽におけるポリリズムやポリフォニーといった要素が、上記のような支配や共生といった発想と結びつきやすいというのも、まあ、あるだろう。
それはそうとして、「庭」では2ヵ所、ベースの添田さんと僕がユニゾンでミニマルなフレーズを弾く場所がある。1ヵ所めは毎回決まった同じタイミング。2ヵ所めも大体決まってはいるんだけど、添田さんが出すタイミングをその都度判断していて毎回微妙に異なる。そこに僕がついていく。
2ヵ所めの音形はこの6年間で添田さんが少しずつ変えていっていて、それを僕がなぞることもあれば、あえてさらに少しずらして弾くこともある。1ヵ所めの音形は基本的にずっと同じだけれど、ここ1年ほど、僕がたまに何となくトリルを入れたりもしている。特に意味はない。
ミニマルなフレーズを何回か繰り返したら、その部分は終わって、僕と添田さんはまた違う動きになって、他のみんなの動きも変わって、曲が進行していく。

 

これまで、この2ヵ所のユニゾン部分について、こうやって具体的に言葉にして添田さんと話したり打ち合わせをしたりしたようなことは一度も無い。
あまりにも些細なことだけれど、これがどれだけ幸せなことか、伝わるだろうか?
そしてこれこそがまさしく「庭」そのものでもあるだろう、と思う。
演奏が終わったあと、「残りの人生で、僕はあと何回このフレーズを添田さんとユニゾンできるだろう」とたまにふと思う。その回数は間違いなく有限である。その回数が既に決められているのかどうかは僕には分からない。
でも演奏中にはそんなことは考えない。それが演奏の良いところだと思う。そしてそういうことを思うと少しセンチメンタルな気分になりかけるのだが、最終的には別にどうでもいいなと思う。それがOWKMJの良いところだと思う。

 

しばらく前から考えていたことだけれど、先週2年ぶりに秩父のお寺のイベントに出演し、境内で演奏したのが楽しかったというか心に残ったので文章化してみました。庭で「庭」を演奏したというわけです。添田さんは「ここで演奏すると、終わった後、本当に演奏したのかどうかよく分からなくなる」というようなことを言っていたな。あはは。これはまた別の話で面白いのですが、今回はとりあえず割愛。

 

 

 

vol.89
2018.4.19 [thu]
今日は自分の誕生日。
27歳になった。天気が良くて良い感じだと思う。
今年の抱負は
・出す(アルバムを。いいかげんに)
・髪の毛を大切にする
・ハイテンション
の3本で行きたいと思う。
サザエさんが1回の放送につき30分間に3本のエピソードを流すのはけっこう凄いと思う。
でも元が4コマ漫画であることなどを考えると、そうなるんだろうなとも思う。
誕生日にあまりこだわりがないような雰囲気でサラッと書けたので良かった。
誕生日にあまりこだわりがないような雰囲気の人になりたいと思っているし、年々それに近づいていけていると思う。
当然まだまだ若手なのでもっとブチ上げていきたい。

 

 

 

vol.88
2018.3.31 [sat]
花粉はつらいが良い季節だ。
1年ほど前に目黒川の近くに引っ越したので、今週は夜中に何度か桜を観に行った。
ひとりでチャリを漕いで。
春や桜がすごく好きなのはなぜだろう?
思いつく理由は、日本人だから、あるいは自分が4月生まれだから、とか。
どれもありきたりな言葉だし、それで良いと思うし、それだけではない何かがある。
と思っている。
書くことが大してないな、と思いつつ少し考えて書いてみたら、やはりそれほど書くことがなかった。
春や桜のように。
明日は山本くんと大福と会うので楽しみである。
2枚目のアルバムの制作に入って、今日で丸3年が経った。
もうすぐ何とかなりそうである。
降り積もる桜の花びらが、まるでこの3年間に出会った人たちのようだ(?)。
2017年度が終わる。
これは日記で、今日の外の光の感じである。

 

 

 

vol.87
2018.2.28 [thu]
ただいま3月1日の午前11時半すぎなのですが、1月の日記で「今年は月イチでこのページを更新する」と書いたので、この記事を2月の日記とさせていただきます。しかも内容は2月上旬に自分のFacebookに載せたもののコピペ(一部修正)なのですが…でもお知らせしておきたい内容なので再掲載しておきます。
*
2月9日に河出書房新社より刊行された『文藝別冊 総特集 いがらしみきお ペン先で神に触れる』にて、漫画家・いがらしみきお氏の歴代作品から16作を厳選し、その解説を執筆しました。19ページにわたり12000字くらい書きました。他にもいろいろ協力しました。
昨日見本誌が届き、まだ一度しか読めていませんが、とても充実した内容だと思います。15歳のときに描かれたものを含む貴重作品群の掲載をはじめ、豪華ゲスト陣の寄稿やインタビューも読み応えがあります。個人的には中条省平氏と大岡玲氏による論考、春日武彦氏のエッセイが興味深かったです。Chim↑Pomのお二人といがらし氏による鼎談も面白かった。
解説の執筆に際しては、いがらし作品を読んだことがない方にも興味を持ってもらえるように、また同時にディープなファンにも楽しんでもらえるように、さまざまな視点を盛り込み、実用文と評論の間隙を縫うようなテクストを目指しました。
いがらし氏の40年あまりの画業は現代日本の文化に様々な面で少なからぬ影響を与えてきたのではないかと思います。またその作品の特異性と質の高さには戦後日本の芸術史上においても着目すべきものが多々あると思いますが、残念ながらこういった形で集中的にクローズアップされる機会は未だ少なく、『文藝』という歴史あるメディアでの特集が何か1つのきっかけになれば、とも思います。
自分の話を少し。
僕は特定の宗教などを持っていません。しかし11歳の頃からは、その時々の自分にとっての素晴らしい芸術作品の数々が、自らの生きる指針になってきたような気がしています。
14歳の時に『Sink』で初めていがらし作品に出会い、強い衝撃を受けました。そして2013年に完結した『I【アイ】』は、現在の人間が到達可能な形而上的領域の最深部を示した作品であり、他分野のさまざまな芸術作品と比較しても類稀な次元に屹立しているように思えてなりません。大げさな表現ですが、自分にとっての聖書、とさえ言いたいくらいの作品です。また2011年に発生した東日本大震災の影響下に存在する作品としても、服部峻氏の楽曲「Humanity」と、遠藤水城氏の著作『陸の果て、自己への配慮』とともに、自分の中にとても強く残っています。
そんなわけで、今回解説の執筆を担当させてもらえたことはとても光栄なことでした。豪華ゲスト陣の素晴らしいコンテンツ群のお伴に、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
なお本書の編集は高校時代からの親友であるMさんが担当しています。11年前に出会った我々は同時代を生きる中でかけがえのない時と言葉を共有し、ものすごく切磋琢磨してきました。今回このような形で協業できたことをとても誇らしく思います。
*
[追記]
先日、同書の刊行記念パーティが開催され、恐縮ながら参加させていただきました。
20180214_191108223いがらし先生と。感謝状をいただきました。
DWDCkoLVQAATR9z.jpg-large感謝状です。西高というのは通っていた高校の名前です。額装して家宝にしようと思っています。

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いがらし先生、映像作家のクマガイコウキさん、Chim↑Pomの卯城竜太さん、エリイさん、Mさん、私。

 

蟹が美味しいお店ということだったのですが、緊張して蟹を食べ損ねました。
今回の『文藝別冊』、そしていがらし先生のこれまでの作品、まだ読んだことのない方は是非この機会に手にとってみていただきたいです。
蟹食べたかったです。

 

 

 

vol.86
2018.1.22 [mon]
14:59:53 書き始め
昼前に起きたら雪が薄く降っていた。
そういえば昨日の夜、明日は雪だと言っていたなと思う。

昨夜は朝5時ころまでミックス作業をしていた。
音楽を少し聴いて洗濯物を畳んだりしてから図書館へ向かう。
その頃には雪がけっこう強くなっている。
道すがら、昼は何を食べようと思う。
午後はまた録音とミックス作業をがんばりたいので、景気づけに近くの中華屋でランチでも、と思うが、なぜか家でカップ麺の焼きそばが食べたい。
なぜだろうと少し考えて、焼きそばが食べたい気分なのもあったけれど、自分は部屋でお湯を沸かしたいんだろうな、と思う。
図書館から帰ってお湯を沸かし、焼きそばを食べた。

 

過去に失われてしまったもの、そしてこれから出会う何か素晴らしいもの。
そういったものたちのために自分は作曲をし、時には言葉を乗せ、録音をしようとしているのではないか、と思うことがたまにある。
そういったものたちが一体なんなのか、どこにあるのか、果たして取り戻したり手に入れたりすることができる類のものなのかは分からない。
そして恐らくそれらは、多くの場合、もう二度と、あるいは永遠に、手の届かないものだろうと思う。
ただ、音楽に触れている時間の中では、もう少しで何かが見えてきそうな、予感のようなものに包まれることがある。
そのような予感の中では幸福でいられる、もしくはそのような予感の中で生きていきたい、死んでいきたい、というような。

 

下の写真は図書館からの帰り道に、近所で撮ったもの。
今年はこのページを月1で更新していきたいと思っています。
2018年はどんな年になるだろう。
年が明けて早くも3週間が過ぎてしまったけれど、今年もよろしくお願いします。

 

15:22:05 書き終わり

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