vol.104
2019.12.27 [Fri]
12/26 17:45
2019年はあと5日ほどで終わる。
去年このページは月1回更新した。今年も同じペースで書きたかったのだけど、今日を含めて5回しか書けなかった。慌ただしく過ごしているうちに、あっという間に時間が流れて行ってしまった。
今年は何と言っても、4年間かけて作ってきたしゃしくえのアルバム『Darkness』を発表できたのが大きかった。自信作で、聴いてくれた人たちからの評判も悪くないのだけど、全く売れていないので、これについては引き続きよろしくお願いします。
以下、今年印象に残っている出来事などについて。
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6月に長い休みがあって、青森とニューヨークに行った。それぞれの町について思ったことなどはまた別の機会に書きたい。ニューヨークでは、昼間ミュージアムやギャラリーなどで美術を観て、夜はジャズクラブなどで音楽を聴く、という感じで2週間過ごした。小学生のときにBill Evans Trio『Waltz For Debby』にハマって以来ずっと憧れていたVillage Vanguardに初めて行くことができた。今回の滞在中、ここでは4公演を観たのだけど、最初に観たのがBrad Mehldauのクインテットだった。メンバーは以下の5人。
Ambrose Akinmusire (trumpet)
Joel Frahm (tenor sax)
Brad Mehldau (piano)
Joe Sanders (bass)
Leon Parker (drums)
2時間くらい並んで当日券で入ったのだけど、色々あって運良く前から2列目の席に座れた。全員すごかったけど、特にアキンムシーレとレオン・パーカーに打ちのめされた。今回はスタンダード中心のセットで、彼らの演奏の中ではそこまで過激な方ではなかったのかもしれないけど、アキンムシーレの音は隅から隅まで殺気と集中力がパンパンに詰め込まれたような感じだった。あとライヴハウスの音の鳴り方が、長年聴いてきた『Waltz For Debby』と全く一緒(これは自分の強い思い込みのせいかもしれない)で、自分のこれまでの人生と、老舗のジャズクラブに染み込んだ音楽の気配と、目の前で繰り広げられる現役世界最高峰ジャズメンの演奏が混ざり合って、なんだかよく理解しきれなかった。1曲目で、目の前1メートルくらいのところにいるメルドーが小さな声でカウントを出して、緊張と高揚に満ちた5人の最初の1音が鳴った瞬間、意識が遠くに引き延ばされる感じがした。
ニューヨークはそんな風に「ザ・お上りさん」という感じで楽しんだ。
そのほか今年国内で観たライヴで印象に残っているのは、Sam Gendel、Florencia Ruiz、Tom Zé、Naia Izumi、Hermeto Pascoalなど。日帰りで名古屋まで行って久しぶりに観たトゥラリカのライヴも楽しかった。
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今年もいろいろな形で人前で演奏する機会をもらえた。関わってくれた全ての人に感謝したいです。どれも思い出があるけど、夏に参加したHASAMI groupのライヴはとても印象に残っている。HASAMI groupの音楽についてもまた詳しく書く機会があればと思うけど、この日のライヴについては、こんな風な音楽の現場ってまだ有り得るんだ、と思った。演奏していて、お客さんや空間と、元気と勇気を分かち合うような感じだった。中学1年のとき、区内の吹奏楽部の新入生たちが集まって100人くらいの初心者オーケストラを結成して演奏する、というイベントがあって、その演奏体験は自分の中に今も強く残っているのだけど、HASAMI groupのライヴにはそれに近い躍動と感動があった。
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今年1年で聴いた(≒パソコンに取り込んだ)音楽は、今日までで27424曲だった。今月はなぜか過去最高のやる気を出して自分の限界に挑み、初めて月間3000曲を超えた。これらの曲の9割くらいは、図書館で借りたCDによるものだ。ストリーミングサービスやメディアの情報、あるいは街のレコード屋などを経由して「誰かから薦められた音楽を聴く」ことが何となく嫌だったりとか、その他の色んな理由からこのリスニング方法を意識的に採るようになって5年くらい経つ。上手く説明できない、というか説明したところであまり共感してもらえない気もするのだけど、このリスニング方法は自分の中でそろそろ限界に来ているような気がしているので、そろそろ止めるかもしれない。でももう1年くらいは続けるかもしれない。
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2019年の音楽、ということで考えると、自分にとって今年はsakanaの活動終了というニュースから始まった1年だった。活動終了を知らせる文章の中で、西脇さんが「理由は34年分あって、それは自分たち2人にしか分からないことだ」というようなことを言っていた。それは本当のことだと思うし、だから自分にはその理由は分からない。でも15年弱くらいsakanaのファン / リスナーであった自分は、その言葉を読んで、どことなく腑に落ちるというか、納得させられるような感じもした。それはたとえば肉親や知人の死に接した時の感覚に近いものかもしれない。唐突だし、理由も何も分からない(というか生命の死に、人間が把握できる理由なんてない)のだけど、疑いようのない説得力を持った現実がただそこにある、というような。自分はたまたま昨年末のsakanaの最後のライヴに少しだけ参加させてもらったのだけど、西脇さんとPocopenさんの音楽は最後まで発展を続けていた。だからあの場にいた誰1人、年明けのsakanaの活動終了のニュースは信じられなかったんじゃないかと思う。でも自分はそれと同時に「ああ、終わったんだ」となぜか納得させられる気もしたのだ。1つの音楽やバンドがそういった生命のような在り方に至った、というのはやはり偉大なことだと思うし、自分はこれからもsakanaの音楽を聴き続けていくだろうと思う。
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音楽以外の作品だと、今年は鈴木志郎康さんの詩に出会えたのが本当に大きかった。もう10年、いや5年でいいから早く読むべきだった。数年前から存在は知っていたのだけど、何となく怖くて読めなかったのだ。まだほんの一部の作品しか読めていないけど、『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』『声の生地』『家の中の殺意』『日々涙滴』などの詩集は、自分にとって人生の指針になるような作品だった。1960年代から今に至るまでこのような作品を生み出し続けている人がいる、ということを知ることは、改めて自分の小ささを思い知らされる出来事だった。
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ここまでポジティヴなことをいくつか書いたけど、今年は重く暗いことも色々あった。自分の身の回りで起こったこともあるし、もっと広い世の中で起こったこともある。
自分はこれまで、どんなにちっぽけなことであったとしても、世界の片隅で音楽を作ったり演奏したり、そのほかの仕事をしたり、ということが、世の中を良い方へ向かわせるための養分に(ごく僅かだけど)なっているはずだ、とどこかで思ってきた気がする。これは社会貢献というような大げさな話ではなく、たとえば1本の小さい草花が放出する酸素はごく微量だったとしても、それがたくさん集まることで他の生き物たちが生きるために必要な量の酸素が賄われる、というような話だ。自分がやっていることなど、1本の草花の力にも満たないような些細なことだけど、生物の営みとしては間違っていないんじゃないか、というようなことを思ってきた。あるいは、自分に言い聞かせてきた、が正しいのかもしれないけど。
ただここ数年、特に今年は、自分のやってきたことは僅かでも養分になるどころか、逆に世の中を少し悪い方向へ向かわせることへ繋がっていたのではないか、と思うことがたまにあった。いずれにせよ目に見えないくらいごく僅か、という点では大して変わらないのかもしれないけど。ただやはりそう感じる時は落ち込むというか、今後どうやって生きていくべきなのか分からなくなるような閉塞感があった。もうすぐ2020年という年がやってきて、自分は29歳になる。色んな刺激をもらってきた2010年代、そして自分自身の20代が終わるというタイミングで、何かを改めて定めて動いていかなければいけない気がしているけど、まだ完全には見えていない。ただ結局のところ自分は自分の正しいと思う方向にしか進めないだろうと思う。その一方で先ほども書いたように、自分が正しくないと思う方向に進んだ方が世の中のためにはなるのではないか、と思う時がたまにあって、謎の混乱に陥っている。
と、同時に…ここまで「世の中」「良い / 悪い」「正しい / 正しくない」といった大雑把な言葉をたびたび使ってきたけど、自分の営みも植物の光合成も、特に良いものでも悪いものでもどちらでもなく、あくまで自然現象の一部にすぎないのだろう、という感覚もずっとある。これは今回書いたこととはまた少し違う話だけど、自分が一番興味のあることでもある。
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10日間くらい風邪が治りきらない。もう熱は下がって、辛かった症状は大体治まったのだけど、ちょっとした寒気や頭痛が抜けない。でももう少ししたら治るだろうと思う。そんな感じ、予感がする。大晦日までには治って、例年のように実家でダラダラと正月を過ごすだろう。父も母もまだ元気だ。でもいつか、こういうちょっとした体調不良も凌げないほどに身体が衰えたり、あるいは身心を凌駕する大きな病がやってきたりして、打ち勝てなくなる時がくる。それは自分が日本人の寿命まで健康に生き続けたとしても、50年後とか60年後には確実に訪れる出来事だ。その時には父も母もいない。今は少し遠い未来に思えても、その瞬間はきっとすぐにやってくるだろう。風邪が消える少し前にはいつもそういうことを考える。体調が戻るとそんな想像もどこかに消えて、また元の毎日と同じように滑らかに時計が回り始める。人間は死ぬまでに何度も風邪を引くけど、同じウィルスに2度感染することはないらしい。同じ時間や同じ風邪が戻ってこないことは、ポジティヴなことなのだろうか。
12/27 23:44
vol.103
2019.10.21 [mon]
26:08
チェーンの飲食店が増え、スーパーやコンビニの安い食事が普及すると、個人経営の店は「価格」で勝負することができなくなる。そうなると個人経営の飲食店は、独自のサービスやこだわりのメニューによって高い客単価を維持できる店のみが生き残ることになる。その結果、世の中の飲食店は「安くて機械的な味の店」と「高くてスペシャルな味の店」のどちらか一方になる。ここで失われるのは、「ほどほどの値段で美味しい店」だ。そしてそれは、機械的な食事はしたくないが特に飲食店に付加価値を求めているわけでもない(店員には極力話しかけられたくないし、マニアックな食材にもそれほど興味はなく、800円くらいで普通の定食が食べたい、というような)人間の行き場が失われることを意味する。
作品というものは尊いものであると同時に、取るに足りないもの・馬鹿げたもの・壊れたらしょうがないもの、である。というのはもはや改めて言うまでもない前提だと思うのだが、どうだろう。違うだろうか?
調和しているもの、バランスが良いもの、より、ギリギリのところで調和やバランスが崩れているものの方が好きだ。そしてそういったものは、作者が自分の力量の限界ギリギリのところを攻めることによって生まれるものだと思う。というようなことを数日前に思って、いま書き留めてみたのだが、書き始めたところで「もしかしたら違うかもしれない」と思った。最初の「調和しているもの、」あたりをキーボードで打ち込んだあたりで「違うかも」と思った。
今日吉祥寺を散歩していて、たまたま立ち寄った古本屋で鈴木志郎康さんの読みたかった詩集を見つけて買った。
いまけっこう雨が降っていて、外から数人の若者の叫び声のようなものが聴こえた。この家に住んで2年半が経つ。繁華街が近いし、学校も多いし、夜中に若者の声が聴こえることはよくある。叫ぶ声、ふざける声、談笑する声、静かに語り合う声。それらのうちの何割かは、この世の人間の声ではない気がしている。
26:45
vol.102
2019.9.14 [sat]
昨夜、帰り道に自転車を漕ぎながら考えていたこと。
人間が生きている土地には、自ずと「都会」と「田舎」が生まれる。恐らく世界中どこでもそうなのではないかと思う。もちろん場所によって都市の規模や種類は千差万別だろう。都会とも田舎ともハッキリとは断言できない中間地点のような街もあるだろう。しかしそれらも「敢えて言うなら」という形であれば、いずれかに分別できる気がする。もしも仮に完璧な「中間地点」の街があったとしても、その隣には都会か田舎が存在するだろう。
まず単純に、そのことが興味深い。「都会」と「田舎」は必ず発生する、ということが。中間地点の街だけで出来た国、人口が満遍なく均等に分布した大陸、というのはまず存在しないだろう。単に「人がいるところに人が集まる」というだけの、それ以上でも以下でもない話なのかもしれないけれど。
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そして、人間は必ず、人間が生きている土地で生まれることになる。つまり都会か田舎のいずれかで生まれることになる。そして生まれた場所でそのまま生きていくか、あるいは生まれた場所とは違う場所で生きるか、という選択を人生のどこかの段階ですることになる。これには2×2で4パターンある。
A:
・都会で生まれる
・田舎で生まれる
B:
・生まれた場所で生きる
・生まれた場所とは違う場所で生きる
上記のA×Bの組み合わせだ。つまり、
・都会で生まれ、都会で生きる
・都会で生まれたが、田舎に移り住む
・田舎で生まれ、田舎で生きる
・田舎で生まれたが、都会に移り住む
の4パターンが存在する。ただAに関しては生まれた時点で決まっているので、1人の人間に与えられる選択肢は2つのみ、ということになる。(もう少し範囲を広げて考えると、「都会で生まれて、別の都会に移り住む」あるいは「田舎で生まれて、別の田舎に移り住む」という組み合わせも考えられるのだが、このテキストとは少し違う文脈になる気がするので、割愛。)
「選択」と書いたが、自分で意識的に選ぶ人もいれば、特にこういったことは考えず、何となくの流れに身を任せたり、恣意的な現状維持であったり、あるいは止むを得ない事情で選択を余儀なくされたり、というパターンもあるだろうと思う。というか、殆どの場合はそうだろうと思う。だが、積極的にしろ消極的にしろ、何らかの形で自らの人生の舵を取る、という意味で、誰もが都会か田舎かを「選択」 している、といえるのではないかと思う。
人生は選択の連続である、というような言葉はあまりにも使われすぎていて、改めて持ち出すほどのものではない。結婚の選択、仕事の選択、音楽を聴くか聴かないかの選択……それらは無数に存在するが、しかし、「都会か田舎か」「生まれた場所で生きるか否か」という選択は、全ての人間が必ずどこかで通過する、人生や人間性を根源的に左右する選択の1つなのではないかと思う。
vol.101
2019.9.11 [wed]
あっという間に4ヶ月近くが経ってしまった。1つ前の更新も水曜日だったので、ちょうど16週間だ。前回は大雨の翌日に書いたようだが、今回も数日前に大きな台風が来て、夜中に物凄い雨風が吹き荒れていた。天気が荒れて少し経つとこのページを更新したくなるのかもしれない。千葉は大変なことになっているようだし、9.11から18年、3.11からは8年半ということで、呑気なことを言っている場合ではないのかもしれないけど。
台風の夜、27時頃、家の外に出てみた。下はその時に撮った写真。本当は近所の目黒川まで行きたかったのだけど、雨風が凄くて呼吸があまりできなかったので諦めた(目黒川については前回の日記でも触れたので以下参照。臭いについては今回も同じだった)。
実家に住んでいた時、台風が来ると母から「川を見に行くなよ。死ぬから」とよく言われた。しかし自分は台風の時に川を見に行ったことはない(大雨の時はある。すごかった)。一度も行ったことがないのに「行くな」と繰り返し言われるのは、自分が “台風の日に興味本位で川を見に行ってうっかり死ぬ、軽率な人” だと思われているからだと思う。それについて異論はないし、一方で一種の予言的な響きを持っているようにも聞こえるというか、自分は最期は川に落ちて死ぬのかもしれないな、と思ったりもしてきた。
自分はアルコールにあまり強くない。ビールを1〜2杯飲むのは好きだけど。居酒屋などで酒を飲んで数時間座って話したりすると、太ももの辺りがジンワリと痛くなる。血の巡りが何となく悪くなっているような感じ。自分の肉体のバランス的に、アルコールを飲むとそこに皺寄せが来るんだろうなと思う。逆の例だと、自分は重いものを運んだりしても「肩が凝る」という経験をしたことがあまりない。背中や腰、脚にダメージがくることはよくある。これらも肉体のバランスによるもので、人によって全然違うんだろうなと思う。酒を飲んで帰り、ベッドに寝転がって痛んだ脚の血管(?)を揉み解すたびに、川に落ちないなら、最期は太ももが痛くなって死ぬのかもしれないな、と思う。
vol.100
2019.5.22 [Wed]
去年はこの日記ページを月1回更新した。今年も同じペースで書きたいと思っていたものの、気づいたら半年近く経ってしまっていた。
この半年間は自分の人生史上でもかなり忙しく、色々なことがあった。ここに書ける主なトピックとしては、しゃしくえ2ndアルバムのリリースに至るまでの諸作業、古川日出男さん演出の画廊劇「焚書都市譚」への出演、ベースをもらう&ウクレレを買う、山本くんロシアへ旅立つ、など。
久しぶりの更新だし、この日記も記念すべきvol.100なので、こういったことをまとめて書きたいとも思っていた。が、時間の経過とともに書くべきトピックの量がどんどん増えてしまい、もはや収拾がつけられない気がするので、これらについてはまた別の機会にそれぞれ書きたい。
加えて、この日記ページの更新ペースを挽回したいという気持ちもあるので、とりあえず今日はあまり気張らず軽い内容で書いてみたいと思う。
昨日は夕方まで凄い雨だった。体調があまり優れず、2度寝して起きたら13時半だった。雨の様子を見ながら音楽を聴いたりマンガを読んだりして過ごした。自分の部屋の小さいベランダは豪雨によってかなり掃除されて、窓と床がピカピカになった。ありがたいと感じた。夕方図書館に出かけたら、いつも臭い近所の目黒川が臭くなかった。雨でいろんなものが洗い流されたのだろうか? 自然の力は凄いと思った。でも今日川沿いを通ったらもう既に臭さが戻っていた。
服の選択を間違えなければ、5月は凄く快適に過ごせる。良い季節だと思う。土や植物の匂いが濃く感じられる瞬間も多く、外で深呼吸をするのが楽しい。休みの日は、昼間必ず1回は自転車で近所をブラブラしている。でもしばらく外にいると飽きて、家に帰って何かをしたくなる。
夜に遠くの街の音が聞こえてくると、目を閉じて耳を澄ませたくなる。でもそこにいる誰かについて知りたいわけではないだろう。